裏金問題など球界の闇歴史となった自由競争での選手獲得枠 ラストイヤーとなった2006年の希望入団枠の選手たちとその後
ラストイヤーの面々を見渡せば分かる通り、岸以外の選手はおおよそ期待外れの結果に終わり、ユニホームを脱いでいる。
小松は2年目の2008年に救援もこなしながら、15勝3敗、防御率2・51の数字を残した。だが、満足に働いたのはこの1年だけ。大隣も2008、2012年と2度2桁勝利(11勝、12勝)を挙げたが、黄色靭帯骨化症に苦しみ、通算52勝止まりだ。
金刃は1年目は先発ローテーション入りし7勝したが、2年目以降は中継ぎ降格し、ワンポイント起用もあった。通算216試合で17勝17敗。
宮本は1軍では全て救援でわずか22試合の登板のみ。田中も控え捕手として通算出場は10シーズンで51試合だけ。小嶋も10シーズンで1軍登板64試合止まり。高市は通算5シーズンで15試合に投げただけ。宮崎は通算43試合だが、3年目以降は1軍マウンドに立てなかった。高崎は2012年には開幕投手を務めるなど、常に大器と期待を集めたが、救援含め通算178試合で25勝40敗1セーブ、防御率4・22と最後まで期待に応えることはできなかった。
この年のドラフトはハンカチ世代と呼ばれた田中将大、前田健太、坂本勇人、会沢翼、福田秀平、梶谷隆幸、福田永将、吉川光夫ら高校生ドラフトが当たり年。大卒・社会人でも嶋基宏、渡辺直人、永井怜、浅尾拓也、大引啓次ら希望入団枠以外の選手が後に活躍している。入団拒否したが、長野久義も日本ハムに4巡目指名されていた。
本来ならばチームの弱点を埋める、補強テーマに合った獲得が可能なはずであった自由獲得枠。ただ実態は、球団フロントやスカウトなどの人脈次第であったり、コストに見合わない投資を迫られたりと、機能していたとは言い難かった。健全な自由競争が望めない球界が抱える不健全さ、その闇を世間に露呈する結果に終わった。
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[文/構成:ココカラネクスト編集部]