清原正吾はプロの世界へ近づいているのか 名将・堀井監督も成長に太鼓判「階段は昇っていると確実に言える」

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 トレーニングと野球スキルを噛み合わせるために野球において心臓とも言える股関節の使い方に重点を置き、進化させることに力を注いだ。力のロスをなくす、天性ともいえるサイズのある身体の力を最大限に生かし、スピードを出す…ウエイトトレーニングや神経系の種目を取り入れ、身体全体の筋力とスピードは向上。そして、Athlete Tuning Method(ATM)というトレーニングにトライし、股関節の柔軟性は上がり、効率よく力を伝える技術が格段に上がった。

 そして生まれた北海道日本ハムファイターズ戦での本塁打。春のリーグ戦では本塁打数は「0」。さらに上の世界を目指すうえでは必要な要素であるスピードと力のあるストレートをはじき返し、フェンスオーバーの打球を放つ。神経伝達を高め、身体の力を効率よく打球に伝える……清原が自己を冷静に分析し、課題を克服するための最短距離メソッドは何か。「この夏のトライは成功だった」、これを証明するエスコンフィールドでの一発であり、プロ野球ドラフト会議へ向けては名乗りを上げる最高のメッセージとなった。

「正吾くん、中学は部活はどうするの?」と聞いた時、「僕はもう野球部には入りません」と慶應義塾幼稚舎の校庭で吐露したあの日から10年。中学ではバレーボールを、高校ではアメリカンフットボールを選択した。野球から離れたからこそ自分を冷静に分析できた。どうすれば大学で通用するか、大学野球界で生きていけるか……今、何が必要で何が足りていないか、自分の特色は何か。10代の清原は自分に対して厳しく自己を評価していた。解決策と改善点がわかっているからこそ、また野球がやりたくなった。

「田中さん、相談があります。もう一度、野球をやろうと思います。今の気持ちなら、必ず続けられると思います。慶應で4番を打ちたい。その為の努力ができる気持ちが出来ました」と話してくれた4年前の春。大学の堀井監督と小学校時代の担任の先生である森林先生(慶応高校監督)に相談に行こうと話したあの日からちょうど4年。あの時、彼は高校3年生の時にはすでにバットを持ち、誰にも知られることなく黙々とティーバッティングを行い、野球部に戻れる日を信じて疑わなった。

 いよいよ始まる秋のリーグ戦。上のレベルで勝負する為にあとは守備の向上と語る清原。大きな注目を浴びる中にあって彼は冷静だった。慶應義塾は4年生で一気に伸びる選手が多いことが伝統だ。清原正吾の運命のリーグ戦がいよいよ幕を明ける。慶應義塾大の背番号3がプロの世界で背番号3を背負う日が来る日はやってくるかもしれない。





[文・田中 大貴]

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田中 大貴 (たなか・だいき)

1980年4月28日、兵庫県小野市生まれ。小野高では2年から4番で打線の主軸を担った。慶應義塾大学では4年春に3本塁打でタイトルを獲得。フジテレビ入社後は主に報道・情報番組とスポーツを担当。「とくダネ!」「すぽると!」ではバンクーバー 五輪、第2回WBC、北京五輪野球アジア予選、リオ五輪キャスターなど様々なスポーツイベントを現地からリポートした。

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