坂本2000安打クリアも、同期マー君は残りまだ23勝・・・投手に厳しすぎる名球会のハードル
【年代別の名球会条件クリア人数】
1940年~:投手3人、野手0人
1950年~:投手5人、野手1人
1960年~:投手5人、野手2人
1970年~:投手2人、野手8人
1980年~:投手6人、野手13人
1990年~:投手1人、野手3人
2000年~:投手5人、野手13人
2010年~:投手2人、野手18人
2000年代に着目すると、200勝達成者は04年工藤公康、05年野茂英雄、08年山本昌、16年黒田博樹の4人しかいない(他3人は250セーブをクリアした佐々木主浩、高津臣吾、岩瀬仁紀)。長く現役を続けた晩年でようやくクリアした投手の苦労に比べて、野手は31人も2000安打をマークしている。1900年代より試合数が増えたことで安打数も増加し、恩恵を受けた野手は達成者が激増した。
現代野球で先発投手は中6日ローテーション制が定着し、登板数が年間26~28試合と限られる。中4日ローテのメジャーでも登板数は30試合ほど。さらに中継ぎ、抑えと分業制が確立し、勝敗がつかずに降板するケースも多い。先発完投が当たり前、登板間隔も短かった昭和時代は、200勝投手が多く生まれる土壌があった。
そもそも名球会に入ることで、なんのメリットがあるのか。ハクがつく、知名度によって引退後の仕事に困らない…などが挙げられるが、必ずしも会員にならないといけないわけではない。2371安打を放った落合博満は名球会入りを拒否し、「オレ流」といわれる哲学を貫いた。
245セーブの藤川、170勝の岩隈はともに名球会入りしてもおかしくない、歴史に名を残す活躍ぶりだった。時代の変化とともに、投手と野手の格差が叫ばれて久しい名球会の基準が見直される日はくるだろうか。
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[文/構成:ココカラネクスト編集部]