「もうやめたい。どう断ろう…」ドラフト指名に苦悩した大学生がなぜ? 阪神・岩崎優が100セーブ超えの“鉄腕守護神”になれた理由
いまや阪神に必要不可欠な存在となった。ベテランの域に達した岩崎は、若手投手を支える精神的支柱だ。(C)産経新聞社
プロでの転機は3年目。金本知憲監督の言葉だった
そして、岩崎には唯一無二の武器があった。
「このフォームがなければここまで来られなかったでしょうね」
ファンにはお馴染みと言える下半身をグッと沈み込ませる独特の投球フォームは天性のもので、後にプロの打者も苦戦する、浮き上がるように見える直球を生み出す原動力となった。
小学生の時に父・久志さんが独特の肘の使い方に着目して以降、いじらず、いじらせなかった。久志さんは阪神入団後もチーム関係者に「フォームだけはいじらないでください」と懇願。無垢なフォームのままだったからこそ、プロでの道を切り開いていけた。
無論、才能や能力にうぬぼれること無く地道な努力も続けてきた。試合のない月曜日には必ず甲子園を訪れ、アルプススタンドの階段登りをして身体に刺激を入れる。トレーニングの種類や方法も無数に存在するようになった中でも、岩崎は「何を選ぶか」ではなく「何を信じるか」に重きを置き、地味でも大切な練習に取り組んできた。
プロでの転機を挙げるとすれば、3年目の16年。当時の金本知憲監督に「もう先発に未練はないやろう」と中継ぎへの配置転換を通告された時だった。
「あのまま先発なら、今頃クビになっていたかもしれないし、トレードに出されたかもしれない。感謝です」
3年でクビを覚悟した男はそこから救援投手として一気に花が開いた。
昨年まで8年連続で40試合以上に登板。マウンドでのパフォーマンスだけでなく、若手時代に藤川球児(現監督)やOBの能見篤史ら先輩から授かった助言や戦況の読み方などを、今は後輩たちに伝えながら精神的支柱として君臨してブルペンをけん引している。
心身を削られるポジションで、今もずっと腕を振り続けられるのは、23年にリーグ優勝を経験したからでもある。「リーグ優勝、日本一と2度も胴上げ投手をさせてもらって。こんな幸せなことはない。みんなが喜んでくれる。それが一番嬉しかった」と語る通りだ。
プロ入りの知らせに頭を抱えて苦悩した大学生が、1年目から開幕ローテーションに入り、胴上げ投手も経験し、球界に名を残すリリーバーにまでなった。
「やっぱり最後、自分が抑えたらチームが勝つというのは9回を投げた人だけなので。そこのやりがいは感じる。誰も想像していないようなことをこれからもどんどん数字として積み重ねてやっていきたいです」
小さな決心と、地味でも続けていく努力が、誰も想像しない境地へ連れて行ってくれることを岩崎は身をもって知っている。だからこそ、まだ投げられる。もっと先に行けると信じている。
[取材・文:遠藤礼]
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