「首を振っても許してくれなかった」巨人のレジェンド左腕・内海哲也氏が語る「最強の女房役」とは
【一塁手】
一塁手に挙げたのは、一塁手として史上最多となる10度のゴールデングラブ賞を受賞した駒田徳広氏だ。
幼少期には、駒田氏独特の腰を低くする構えを真似していたとも明かす内海氏。
現役時代に共にプレーした経験や対面したことがなかったという同氏だが、昨年西武対巨人のファーム試合開催時に巨人3軍監督を務める駒田氏と初めて顔を合わせることに。
190cmと高身長を誇る駒田氏を前に「でっか!と思いました」と感想を述べる場面も見られた。
【二塁手】
二塁手には、かつて4年連続ゴールデングラブ賞を受賞した経験を持つ、仁志敏久氏を挙げた。
内海氏の現役時代にも、バックで守りについたことのあるという仁志氏だが、「どこを守っているかわからない」というほど、ポジショニングを含めた守備力を絶賛。
それゆえ「たまに、『いないのか…』という時もありました(笑)」と笑いを誘う一面もあった。
【三塁手】
三塁手に選出したのは、ゴールデングラブ賞・日本シリーズMVPなどの受賞歴を持つ岡崎郁氏だ。
引退後も巨人で二軍打撃コーチ・二軍ヘッド兼内野守備走塁コーチ・一軍ヘッドコーチ・二軍監督・スカウト部長などを歴任した岡崎氏のバッティングが好きだったと明かしている。
【遊撃手】
そして、ショートには坂本勇人内野手の名前が。
内海氏の現役時代にも共にプレーし、ここまで2000本安打も達成と一時代を築き上げた坂本に対し、「守備範囲も広いし、バッティングも良い。7個くらい年下なんですが、助けてもらいましたね」と、称賛と感謝のコメント。
一方で、高卒1年目から一軍の舞台で活躍をしていた坂本だが、入団当初は「全然知らなかった」と明かす内海氏。
突如一軍に上がってきた坂本に対し、当初は「誰この人?」と思ったというが、その内海氏の登板日になんと坂本は延長で勝ち越しとなるタイムリーを放った。これが今でも語り草となっている坂本のプロ初安打のシーン。2007年9月6日の中日戦、延長12回にもつれた試合で二死満塁となり、原監督が最後の「切り札」として代打で送りこんだのが当時、プロ1年目の坂本だった。まだ非力ながら、相手左腕、高橋聡文の直球に粘り強く食らいつき、決勝打を放った。ここから坂本のサクセスストーリーが始まったのだ。
これには内海氏も「末恐ろしいな」と、その才能に可能性を大いに感じたと明かした。
【外野手】
最後に外野手だが、3名のうち内海氏が「絶対に入れたかった」というのが、シェーン・マック氏だ。
巨人でのプレー歴は2年と他に比べると期間は短いものの、「よく打った」と強く印象に残っていると話す内海氏。
加えて、
「彼が盗塁した時にヘルメットが飛ぶんですが、その飛んだヘルメットにボールが当たるということがよくあった。あれは狙ってできるものではないです」と、走塁面も踏まえてベストナインに選出したと話した。
そして、残り2名に選出したのが、松井秀喜氏と、高橋由伸氏だ。
共にプレーした経験はないものの、幼少期から「大好きだった」という松井氏のホームランに釘付けだったという内海氏。
そんな松井氏が、巨人へ臨時コーチとして訪れた際、初めて対面したという内海氏。
憧れの人を前に「嬉しすぎて話かけられなかった」という同氏に対し、松井氏から声をかけられたという。
「いつも見てるよ。頑張ってるねと言ってくれて。めちゃくちゃ嬉しくて、虜になりました」と、「ファン」としての一面を明かす場面も。
そして、内海氏が「全てがかっこいい」と話すのが、高橋由伸氏だ。
由伸氏とは現役時代にも、監督時代にも共にプレー経験のある内海氏は、それぞれの一面についてこのように語っている。
「選手時代の時は、冗談を言えたりする仲だったんですが、監督になった途端に、雲の上の人になりましたね。それだけスイッチが入っていたというか、オーラが違いましたね。これは前みたいに話すのは無理だと思いました」
生粋の巨人ファンだったことが分かる「ベストナイン」。内海氏自身、巨人時代はエースの働きでチームを支えた。現在は西武二軍投手コーチとして若い才能を伸ばすことに注力している。
[文/構成:ココカラネクスト編集部]
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