内海が西武へ 人的補償移籍の過去事例 制度第一号は?才能を開花させた選手は?

タグ: , , 2018/12/20

 西武は20日、FA移籍した炭谷銀仁朗捕手の人的補償として、巨人から内海哲也投手を獲得すると発表した。FA移籍に伴う人的補償としての移籍は、昨年同じく巨人から西武へ移った高木勇人投手以来で通算26人目となった。

 11、12年に2年連続で最多勝のタイトルを獲得するなど長くエースとして活躍。07~09年、12~14年と2度のリーグ3連覇に大きく貢献した。今季は15試合で5勝5敗、防御率4・17。通算324試合で133勝101敗、防御率3・21の成績を残していた。

 球団を通じて「日本一のファンに支えられた15年間は最高の思い出です。ジャイアンツの皆さん、日本シリーズで対戦しましょう」などとコメントを発表した。

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過去のFA人的補償移籍の事例


 プロテクトを外れた大物選手が人的補償として移籍したケースは過去にもあった。ただ、ドラフト1位にあたる自由獲得枠で04年に入団した生え抜きであり、選手会長も務めるなど選手の人望も厚い精神的支柱の放出は衝撃を与えた。

 1993年に導入されたFA制度で、人的補償第1号は95年オフに巨人から日本ハムへ移った川辺忠義投手。1軍未出場の若手で96年に1軍デビューを果たし17試合に投げたが、翌97年限りで現役を引退した。

 大物と言える選手が初めてプロテクトを漏れ指名されたのは、2005年オフに巨人から西武へ移籍した江藤智内野手だろう。すでにチームでは代打要員だったが、その時点で通算349本塁打と節目に王手をかけていた大砲。若返りを図る当時の構想から外れた。広島から巨人へFA加入しており、FA移籍と人的補償での移籍両方を経験した初めての選手となった。

 移籍後は4シーズンプレー。主に代打だが、DHや一塁、三塁での起用もあり、通算350本塁打や1000打点などのメモリアルは西武のユニホームを着て飾った。

 翌06年オフには工藤公康投手が巨人から横浜へ移った。この時点で通算215勝の43歳。巨人とは契約を更改しておらず、07年1月のアリゾナ自主トレ中に移籍が決まった。移籍後に横浜と2億円減の年俸9000万円でサインした。

 横浜では先発、中継ぎと3シーズンで68試合に登板した。07年は18試合に先発し、7勝6敗、防御率3・91とまずまずの成績を収めた。

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