なぜ阪神は“常勝軍団”と化したのか 球団を変えた「方向転換」の10年史 2000年代に始まっていた“静かな種まき”
いまの阪神打線に欠かせない主軸となった大山(左)と佐藤(右)。彼らもいわゆる「生え抜き」で、ドラフトによって猛虎へと招かれた(C)Getty Images
球団幹部が「あまりない」と振り返ったドラフト戦略とは?
そして、翌16年ドラフトでは、大方の予想を覆す形で白鳳大学の大山悠輔を単独指名した。すでにチームに在籍していた高山、横田慎太郎(13年ドラフト2位)、江越大賀(14年ドラフト3位)らとともに野手の強化指定選手として金本監督の指導の下、スラッガーへの道を歩んでいった。
17年のドラフトは一転、1位で即戦力投手・馬場皐輔(仙台大学)、2位では潜在能力を買って高橋遥人(亜細亜大学)を指名。度重なる故障に苦しんだが、高橋は今季の開幕から圧倒的な投球を披露してチームの躍進をけん引している。
金本監督は18年を最後に退任となったが、バトンを受けた矢野燿大監督が、ドラフト戦略に加え、育成の路線も継承。同年のドラフトでは、近本(大阪ガス)、小幡竜平(延岡学園)、木浪聖也(亜細亜大学)と1位から3位を即戦力と育成で織り交ぜた“センターライン”で固めた。
当時、球団副本部長だった嶌村聡球団本部長は、こう振り返っている。
「センターラインが(戦力的に)なかった状況。だから、まんべんなくというよりは徹底的に補強ポイントでいって、そこを埋めていくということをやっていかなければ、チームとして成り立たないというのがあった。センター、ショート、ショート……普通は野手、野手、野手(の指名)はあまりない。そういうことをする時はチームに穴がある時。普通はどこかで投手をいく。でも、その時の戦略的には、まずセンターラインを埋めるために近本、小幡、木浪という順番でいってというところからの出発点」
その後も20年の佐藤輝明(近畿大学)、22年の森下翔太(中央大学)と外国人に一切、頼ることのない野手の育成方針を貫いて獲得した選手たちが、長い時間を要することなく、チームの中心選手へと育っていった。
ただ、金本監督就任とともに舵を切った生え抜きの育成路線よりも前に、球団は2000年代前半から地元の関西出身選手を積極的に獲得するべく、大学や社会人チームとの関係構築に尽力していた。育成と地元重視が絶妙に絡み合った路線が、後に近本、才木、村上、佐藤輝など多くの関西出身の生え抜き選手がチームを支えるに至る、今のチーム構成を導く形となった。
ここで忘れてはいけないのは、補強路線が色濃くあった時代にFAやMLBから移籍した選手たちの“レガシー”も確実に今の生え抜き選手に受け継がれていっているという点。世代交代、そして新陳代謝を繰り返しながら、ドラフトという大きな“補強装置”を有効活用し、強き令和の猛虎は生まれた。
[取材・文:遠藤礼]
【関連記事】「ほぼ打てない」阪神に現れた“怪腕”高橋遥人は何が凄いのか 驚異の3連続完封 球界OBの解説「球の質が違う」「投げにいく瞬間に打ちにいくぐらいじゃないと…」
【関連記事】「手術はもう終わりにしたい」――阪神・高橋遥人が漏らした“決意” 過酷なリハビリを不屈の闘志で乗り越えた不死鳥は舞い戻る
【関連記事】佐藤輝明は「えげつない」リーグ独走の9号アーチに球場騒然、異次元のスイングに他球団ファンも“懇願”「早くメジャーに移籍してください」「軽く振ってスタンド中段だもんな」








