阪神からやってきた「小さなサムライ」 吉田義男氏の訃報に仏野球連盟も哀悼「野球界は伝説的な人物を失った」

日本のみならず、フランスでも野球の普及に尽力した吉田氏。(C)産経新聞社
レジェンドの死に悲しみが広まった。
2月3日、阪神タイガースを、監督として球団史上初の日本一に導いた吉田義男氏が、脳梗塞のため亡くなった。91歳だった。
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阪神で16年のキャリアを積んだ現役時代には華麗な守備から「今牛若丸」の異名を取った吉田氏は、引退後は古巣で3度の監督を経験。第2期となった1985年には、個性派揃いの集団をまとめ上げて21年ぶりのセ・リーグを制覇。日本シリーズでも黄金期にあった西武を倒して日本一に輝いた。
解説者としても古巣の阪神を中心に、球界へ愛情あふれる提言を続けてきた吉田氏は、知人の紹介もあって1989年からパリ大学クラブ技術顧問に就任。そして1990年から約5年間にわたってフランス代表の指揮官に。異文化の中でも愛ある指導を続け、同国の野球発展と普及に貢献した。
大手スポーツ紙『L’Equipe』で「小さなサムライ」とも評された。そんな日仏野球の橋渡し役となったレジェンドの死にフランス国内でも悲しみの声が集まった。現地時間2月4日、フランス野球ソフトボール連盟は公式ホームページ上で吉田さんに対する追悼のメッセージを掲載した。
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