日本代表監督が地下鉄工事で働いて見えた事

タグ: , 2017/10/12

「引退して働くってどう言う事かを知りたかった」「チームが潰れても、こうすれば食えると分かった」

飯島健二郎さん

リオ五輪トライアスロン日本代表監督を務めた飯島健二郎さんは、日本人初のプロトライアスリートとして競技の普及と選手育成、強化に心血を注いできた。

パイオニアとして一時代を築きながら、1998年11月に現役引退後は、志願して100日間、営団地下鉄の深夜工事のアルバイトに取り組んだことがあるという。なぜ、自ら重労働に!?

「銀座駅のホームで屋根の改修工事をやったんですよ。一日で夜に4時間働いて、2万2000円もらえた。これを20日間働いて、45万円弱になりました。」

懐かしそうな表情で19年前を振り返る飯島さんだが、12年間にわたって日本のトライアスロン界をリードしてきた男がなぜ、工事現場へと自ら飛び込んだのか。

働く事の本質、意味を知りたかった

 「やっぱり、働くってどういうことかを知りたいというのがありました。」

人々が眠りの中にある時間帯、ひっそりと行われる重労働。裸一貫、汗をかき、体を張ることで、お金を稼ぐことの大変さ、そしてありがたみを体感することができた。12年間の現役生活は陽の当たるところで泳ぎ、走り、奮闘してきたが、世の中は決してそれだけではない、様々な人々の表に出ない努力で回っていることも分かった。有意義な時間だった。

飯島健二郎さん

現役引退から遡ること10年、飯島さんは1988年に「株式会社ケンズ」を設立した。自身もレースに参加しながら、選手の育成や普及のためのスクールや大会を開催し、一般層が気軽に参加できる大会を考案した。選手の登竜門と呼ばれる「ケンズカップ」はその代表的なものだ。そして翌89年には「チーム・ケンズ」を結成。日本トライアスロン界の指導者やトップ選手になる輩出した。

「バブル期だったので、お金がすごい集まったんです。僕の契約金と同期のプロ野球選手の契約金が同じぐらいでした。だから『これは絶対に普通じゃないな』と思いました。勘違いしないようにしようと。」

お金に関しては、常に謙虚に。その姿勢が自身を工事現場へと向かわせたのだろう。飯島さんはあらためて、地下鉄工事の経験から学んだことをこう振り返ってくれた。

「チームが滅びても、潰れても、こうやって食べていけると分かったのも良かったですね。」

※健康、ダイエット、運動等の方法、メソッドに関しては、あくまでも取材対象者の個人的な意見、ノウハウで、必ず効果がある事を保証するものではありません。

〔文/構成:ココカラネクスト編集部 〕

飯島 健二郎(いいじま・けんじろう)

1959年、東京都生まれ。日大二高、日大では野球部で投手として活躍。大学卒業後、母校の日大二高にて野球部顧問として甲子園出場。水泳部顧問としてもインターハイ出場。

野球部の生徒と練習中にヒザの半月板を損傷し入院。入院先でたまたまテレビで観たトライアスロンに惹かれ、教員と言う安定した職業を捨て、日本初のプロトライアスリートに。チームケンズを創設。現役時代は数々のタイトルを獲得、日本のトライアスロンのパイオニア的存在。

引退後は指導者として、北京五輪5位入賞の井出樹里選手、2010年の第一回ユース五輪で金メダルを獲得した佐藤優香選手等を輩出。トライアスロンが五輪正式競技となったシドニー五輪以来、代表監督やコーチ等を歴任。

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