ソフト・金メダリスト山田恵里の「心のマネジメント術」~燃え尽き症候群に悩まされた~
「心理カウンセラー×アスリート」の対談により、日々の生活や仕事にも役立つ「心のマネジメント」をひもとく本連載。今夏の東京五輪で日本中をわかせた女子ソフトボールで2大会連続となるキャプテンを務め、見事金メダルに輝いた山田恵里選手と心理カウンセラー・塚越友子氏に引き続き、話を聞く。
気持ちの切り替えにつながったのは・・・
塚越 前回は気持ちの切り替え方についてお話を聞きました。今回は東京五輪を中心にお話を聞かせてください。ソフトボールといえば、競技除外から復活まで13年も間が空きました。モチベーションの維持含め、どのように乗り越えてきたかなど教えてください。
山田 北京五輪で1番上の目標(金メダル)を達成してしまったことで、次の目標を失ってしまった。自分は人間って目標がないと頑張れないと思っているので、なかなか気持ちが入らないという期間が長く続きました。一方でリーグ戦はずっと続いていて、そんな中でグラウンドを見た時に、整備してくださっている方をはじめ、本当にたくさんの方が支えてくれているということを、恥ずかしながらそこで初めて気づかされました。
塚越 そこで気持ちのスイッチが切り替わったということでしょうか。
山田 そういった場面を見たときに、『目標がない』とか、『やりたくない』といった感情でやっていたということが情けなくて申し訳ないという気持ちになったんです。ソフトボールをする上で自分一人ではできないし、本当にたくさんの人たちの支えがあると感じました。その人たちのためにももっと恩返しをしなくてはいけないなと思い、(五輪競技除外の)約13年間恩返しをしたいという思いでやってきたというのはあります。あとは、もちろん五輪種目に復活するというのを信じて取り組んでいました。
塚越 そういった感情のモヤモヤが晴れたときというのは、ある時ハッと気づいたのか、何かきっかけがあったのか、どのような過程だったんでしょうか。
山田 なんか、急にパッと切り替わりました。ある日、試合に出るために外でウォーミングアップをしていてグラウンドを見た時に、『あ、こんなに色々な人が関わっているんだ』という風に感じました。
塚越 そのモヤモヤしていた時期は実際何年間くらいありましたか?
山田 (北京五輪後)2年くらいですね。なんか、ソフトボールをなんのためにやっているのか、ただいるだけでしたし、そんな状況で自分がいて、周りも迷惑だっただろうなと思います。
塚越 北京五輪で金メダルをとって達成感もあり、でも次の目標がないというところで、無気力になっていたという感じですかね。
燃え尽き症候群に悩まされた時期
山田 そうですね。燃え尽きてしまいましたね。
塚越 色々な感情がありますよね。燃え尽き、無気力、次の目標がないという絶望感とか。それらの悩みは、2年間、一人で抱えていたんですか?
山田 あまり周りに言ってはなかったかもしれないですね。
塚越 周りに相談するような気持ちになれなかったという感じですか?
山田 今振り返るとその悩みをどういう風にしたい、というのが自分の中でなかったと思います。相談にも至らなかったと言いますか、自分で何かを変えようという気にもならなかったですし。
塚越 モヤモヤから脱出したい、解決したいという前段階のモヤモヤしちゃった感じなんですね。
山田 そこまで全然いってない状態がずっと続いていた感じですね。
塚越 なるほど。人に相談することって、特に日本人は苦手な傾向があるため『なんでこんなにモヤモヤしているんだろう』って思った時に、『変えよう』とか、『よくなろう』とか思わないと、相談まで至らないんだと、今の山田選手の話を聞いていて思いました。
山田 確かにそういう状態ではなかったですね。
塚越 そこから前述の『あれ?』って気づいたわけなんですね。
山田 そうなんですよ。何やってるんだろう、って思いましたね。
塚越 その場面を再現すると、山田さんの頭の中で、どんなセリフがあったんですかね?
山田 やっぱり『今まで何やってたの!?』って感じですかね。本当に、申し訳ない気持ちに一瞬でなりましたね。