甲子園の土を最初に持ち帰った人は? 沖縄返還につながる衝撃的な事実も

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 では誰が最初に土を持ち帰ったのだろうか。同ホームページによると、「打撃の神様」と形容された川上哲治(決勝戦で敗退した1937年夏の23回大会)の説があると書かれているが、実はこれ以外にも諸説ある。2番目は1946年の夏の大会で準決勝で敗退した東京高等師範付属中(現筑波大付属高)の佐々木迪夫監督が「来年また甲子園に戻ってくる」という意味を込めて選手に各ポジションの土を手ぬぐいに包んで持ち帰らせた。この時、甲子園球場は米軍が接収中だったので阪神西宮球場で高校野球が開催されている。これが新聞で記録されている最古の土の持ち帰りだという。3番目は1949年夏の大会で準々決勝で敗退した小倉北高(現小倉高)の福島一雄投手が足元の土を摘んでズボンの後ろポケットに入れて持ち帰った。これは無意識の行動で大会後に大会役員の手紙で知ることになるという。

 真相ははっきりしていないが、甲子園の土を持ち帰るのが伝統になった出来事があった。1958年に大会史上初めて沖縄代表で出場した首里高校が1回戦で敗退。球児たちが甲子園の土を袋に入れて持ち帰ろうとしたが、沖縄は当時アメリカ領だったため、同国の法律で植物検疫法に抵触して持ち込み不可能に。海に捨てられてしまった。この出来事は当時の新聞で取り上げられて大きな反響を呼んだ。この事件がきっかけになり、沖縄返還運動が盛り上がり、14年後の72年に日本に返還された。甲子園の土を持ち帰れず涙を流した沖縄の球児が存在し、その一連の出来事が歴史を動かした。甲子園の土にはたくさんの人の思いが詰まっているのだ。

※健康、ダイエット、運動等の方法、メソッドに関しては、あくまでも取材対象者の個人的な意見、ノウハウで、必ず効果がある事を保証するものではありません。

[文/構成:ココカラネクスト編集部]

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