野球界の「口は災いの元」事件簿 M-1 久保田&武智は他人事じゃない…
昔から「口は災いの元」と言います。それでもついつい、本音はポロリと出てしまうものです。
漫才日本一を決める今年の「M‐1グランプリ」では終演後、「とろサーモン」の久保田かずのぶさんと「スーパーマラドーナ」の武智正剛さんが審査員の上沼恵美子さんに暴言を吐き、大騒動に発展してしまいました。
しかし、野球界にとっても舌禍騒動は対岸の火事ではないのです。
過去、勢いのままに口走ってしまったあの一言が、大問題に発展した例は枚挙に暇がありません。今回はその中でも3つの例を検証しながら、未来を生き抜くためのヒントをつかみたいと思います。
阪神・江本孟紀投手「ベンチがアホやから野球がでけへん」
最高です。最高としか言いようがありません。まさに「声に出して読みたい日本語」と言えるでしょう。
1981年8月26日、甲子園での阪神戦後に、歴史的暴言は生まれました。2点リードで迎えた八回二死二、三塁、打席には水谷新太郎選手。敬遠か、勝負か、内野がマウンドに集い、指示を仰ごうとベンチを見つめますが、何とその時、中西太監督がいない…。そうこうしていたら同点に追いつかれ、この回終了。
エモやんはあきれてベンチを出て、ロッカールームに引き揚げます。そこでスポーツ各紙の若手記者に「アホちゃうか」と首脳陣批判を繰り広げてしまったのです。
タテ社会の野球界にとって、首脳陣批判はタブー。
球団サイドは「10日間の謹慎」を課そうとしましたが、それを知ったエモやんは翌日、何と引退を表明しました。ちなみに「ベンチがアホやから野球がでけへん」と言ったわけではなく、発言をつなぎ合わせた結果、このように報道されたのが真相のようです。その時、エモやんは34歳でした。