目的志向型で自分の人生を生きる
~楽天野球団、インテリジェンスの創業・島田亨さん~

2017.07.22

自分は他人と比較しないけど歴史的な注目や報道、その中で唯一意識していたこと

島田亨

― 楽天野球団の立上げで、普通のベンチャー起業と唯一最大に違う点としては、何かあれば毎日報道される立場で、歴史的な事でした。その中でのプレッシャー等もあったかと思いますが、その中で集中して、力を発揮するにはどうやっていたのですか??

 先ほどの競争者を意識しないと言うところにつながるのかもしれませんが、たしかに今振り返ると歴史的な仕事で、日本中から注目されていた仕事なのかもしれないけど、その時は全くその事を意識していませんでした。

 なので「マスコミが注目しているからこうしなきゃ」とか、「全国が注目しているからこうしゃなきゃ」とかはなかったですね。その時に唯一考えていたのは、例えNPB参入からたった4か月しか準備期間がなかったとしても、「ホーム開幕戦に(球場等試合興行を行う準備が)間に合わせられなかったらどうしよう」と言う事、それだけでした。
 ホーム開幕の時に、ベストな状態じゃないかもしれないけど、お客さんが試合を観戦するにあたって最低のモノはちゃんと揃えなきゃ申し訳ない、ただそれだけでした。

― NPB参入から4か月ですべてを揃えて開幕を迎えないといけなかった。

 年末年始を挟むし、大雪が降って工事が進まない。当時、球場の建設を担当されていた鹿島建設さんも「雪でどうにもなりません!」と言う状態(苦笑)。さすがに、球場の箱を用意できないと言うシナリオがあり得ると言う事が浮かんだ時はしびれましたね…(苦笑)。
 選手が一人もいない、球場はない、チケットやスポンサーも売った事ないところからでしたからね。

島田亨

― プレッシャーに強い方ですか?

 焦るとか、ヤバいとか言う感覚自体が無いですね。プレッシャーとか、う~ん、どうなんだろう…。あまり感じた事ないかもしれませんね。

 開幕が「70点」で少なくとも迎えられる事が分かってからは、そもそもそこがゴールではなく「理想とするボールパークを作る」と言う事が目標だったので、開幕して5月くらいには5日くらいの弾丸ツアーでアメリカへMLBの球場視察へ行きました。ボルチモアのカムデンヤードのレンガ造りのデザイン、良かったですねぇ。そこから球団3年目まで段階を踏んで改修をしていきました。今ある観覧車なども当時のデザイン、計画にありました。もちろん、強くて魅力あるチームづくりと並行して。

 この球場やチームの基礎工事が3年目くらいで見えてきた段階で、「あ、私の役割はここまでかな?」と思って、一度「辞めます」って言ったんですけどね。(笑)
 そこから、本社の事業に吸い込まれて行った感じですかね。

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島田亨(しまだ・とおる)さん

1965年3月3日、東京都文京区出身。東海大学卒業後、1987年4月株式会社リクルート入社。1989年6月、株式会社インテリジェンス(現:パーソルキャリア株式会社)を創業。2004年12月には株式会社楽天野球団代表取締役球団社長に就任するなど、実業家として各種企業で経営に携わる。現在は株式会社U-NEXT副社長。

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