五輪代表監督 「人づくり」は学ぶ事を忘れず、引き出しを増やし続ける事
2017.10.19
2020年東京五輪の招致と本番の舞台、両方に立つ唯一のアスリート
日本トライアスロン草分け的存在であり、プロ・トライアスリート第1号である飯島健二郎さん。1998年に現役引退後は指導者として日本代表チームを牽引してきた。厳しくも温かい、その指導哲学に迫った。
2010年には第一回ユースオリンピックにおいて、中学時代から指導を続けている佐藤優香選手が金メダル獲得。佐藤優香選手は2020年東京五輪の招致が決まったアルゼンチン・ブエノスアイレスでのIOC総会のプレゼンにも登壇。2020年東京五輪の招致と本番の舞台、両方に立つ唯一のアスリートだ。
五輪代表監督が考える「人づくり論」
そんな飯島さんの「人づくり」論はどういったものなのだろうか。
「人ってみんな性格も違うし、選手も高いレベルの人間はみんなワガママだし、そりゃあ腹の立つことばっかりですよ(笑)。人をつくるなんておこがましいことはできないって思うほど、難しい。でも、だからこそ一番面白いんですね」
「人づくり」の喜びを感じる瞬間について、実感を込めて言う。
「選手が勝ったときの、あの一瞬のうれしそうな顔を見たら、あれで全部許されてしまう(笑)。365日、24時間、寝ている時間以外は選手と支え合いながら、生活しているわけですから。世界で唯一のものをつくっていることに関しての面白さが、すごくあります」
教える側が学ぶ事を忘れず、引き出しを増やす
「組織はリーダーの力量以上には育たない」という言葉もある。指導者だからこそ、日々勉強する姿勢が求められるという。
「僕らが学ぶことを忘れないで、引き出しを増やしていけば、また成果としていろんな引き出しにモノを入れていってくれるんですよね。奥深くメソッドを追求して、選手が一歩踏み込めるようなものを用意したりとかね。そこに、間違いなく面白さを感じています」
さあ、2020年。東京五輪でのトライアスロン日本代表の奮闘には、これまでにない熱視線が注がれる。
「僕も東京オリンピックで終わるつもりでやっているところもあるんで、その時にならないと分からないですが、今度の東京は『ここで辞めてもいい』というくらい出し切ろうと思っています。今のモチベーションは、東京オリンピックですね」
照準はもちろん、金メダルだ。
「一番を目指さなきゃ、得るものは少ないと思うんですよね。やはりオリンピックのメダルは大事だし、東京五輪に対しては今まで以上に強い気持ちで取り組んでいます。この取り組みでやったことが、勝つにしろ、そこに至らないにしろ、何かの形で残るんじゃないかと思っています」
※健康、ダイエット、運動等の方法、メソッドに関しては、あくまでも取材対象者の個人的な意見、ノウハウで、必ず効果がある事を保証するものではありません。
〔文/構成:ココカラネクスト編集部 〕
飯島 健二郎(いいじま・けんじろう)
1959年、東京都生まれ。日大二高、日大では野球部で投手として活躍。大学卒業後、母校の日大二高にて野球部顧問として甲子園出場。水泳部顧問としてもインターハイ出場。
野球部の生徒と練習中にヒザの半月板を損傷し入院。入院先でたまたまテレビで観たトライアスロンに惹かれ、教員と言う安定した職業を捨て、日本初のプロトライアスリートに。チームケンズを創設。現役時代は数々のタイトルを獲得、日本のトライアスロンのパイオニア的存在。
引退後は指導者として、北京五輪5位入賞の井出樹里選手、2010年の第一回ユース五輪で金メダルを獲得した佐藤優香選手等を輩出。トライアスロンが五輪正式競技となったシドニー五輪以来、代表監督やコーチ等を歴任。