「平成の大エース」・斉藤雅樹、時代を築いてきた野球論〜中継ぎから先発転向、11試合連続完投勝利へ〜
ジャイアンツのエースとして、在籍19年で6度のリーグ制覇・3度の日本一に大きく貢献した「平成の大エース」・斉藤雅樹さん。
個人タイトルでは、最多勝利を5回(日本記録)、最優秀防御率を3回、最多奪三振を1回、最高勝率を3回獲得。そして、MVPを1回、沢村賞を3回(日本記録)、最優秀投手を5回、ゴールデングラブを4回など、数え切れないほどの表彰も受けた。その上、11試合連続完投勝利や3年連続開幕戦完封などの日本記録も樹立した、記録にも記憶にも残る平成を代表する投手だ。
そんな偉大なピッチャーでありながら、誰に対してもとても物腰柔らかく、笑顔で対応してくれる斉藤さん。温厚すぎる、謙虚すぎるとも取れるその性格ゆえに、入団当初は「気が弱い」「ノミの心臓」と揶揄されることもあった。「優しすぎる投手」から「平成の大エース」へ、その進化の過程を聞いた。
第2回は中継ぎから先発への転向、そこからの覚醒について。
逃げさせてもらえなかったからこそ得た自信
−−ドラフト1位でジャイアンツに入団し、1年目に当時の藤田監督の助言もあって、代名詞であるサイドスローに転向しました。2年目以降を振り返って教えてください。
斉藤:一年目の最後の方は二軍で結果を残せて、2年目のオープン戦は好調だったので、少し自信はあったんですけどね。まさかの2年目の開幕戦で大炎上。。。それでゴールデンウォークの頃には二軍に落とされて、次に一軍に上がったのが8月の終わりぐらいだったと思います。約3ヶ月間ファームにいて、9勝したんですよね。それでまた1軍に上がって、8月の終盤からシーズン最後までに4勝しました。リリーフもあり、先発もありましたけど、終わってみればまずまずだったなという2年目でした。
−−自信を掴みかけたところで味わったどん底。そこからまた這い上がってきたということですね。3年目以降はどうでしたか?
斉藤:3年目もけっこう良かったですね。1年間ずっと1軍にいた感じでした。このまま順調にいくかな、と思っていたのですが、4年目、5年目、6年目では一軍と二軍を行ったり来たりみたいな感じだったと思います。
−−そして7年目からは?
斉藤:突如、化けましたね。4〜6年目は怪我とかもあったりして、王監督の期待に答えることができませんでした。6年目が終わった時に王さんが辞められて、藤田監督がまた戻ってこられました。7年目、今年もリリーフがメインになるのかと思っていたら、開幕2戦目に「先発だ」と言われたんですよ。「ええっ!」ってビックリしましたね。でもまぁ、そこからローテーションに入れてもらって、先発として投げるようになりました。
−−それまでは中継ぎでの登板が多かったなかで、急に先発に転向となった時に気持ちや体力面でどうでした?
斉藤:体力はあったので、球数を投げることに関しては問題なかったです。ただ、気持ちの面では先発と中継ぎでは違いますよね。先発は先を見ながら2、3点は仕方ないという気持ちはありますけど、中継ぎは最初からズバッといかないといけないし、直接勝ち負けに直結するポジションですので。