井上尚弥 13連打の中で気付いた今後への課題と教訓
世界中から「タイソンやゴロフキンのようだ」と言う声…
「マイク・タイソンみたいだった……」
2018年5月25日、井上尚弥(大橋)が王者ジェイミー・マクドネル(英国)を1ラウンドで仕留め、世界ボクシング協会(WBA)バンタム級のベルトを強奪した試合直後。ヒーローの帰還を待つ舞台裏のそこかしこから、そんな声が聞こえてきた。
マイク・タイソン(米国)とは、言わずと知れた元統一世界ヘビー級チャンピオン。ヘビー級史上最年少の20歳で頂点に立った男は、一言でいえばどこまでも凶暴なボクサーとして恐れられた。
「アイアン(鉄人)」と形容されたハードパンチと、瞬間移動のような踏み込みでKOの山を築いた。そんな20年以上も前に活躍したボクサーの姿を想起させるほど、この日の井上尚弥はどう猛だったということだろう。ただ、これを井上尚弥は額面通りの「称賛」とは受け取らないはずだ。
それは試合後の言葉からも感じられた。
「今日はめちゃくちゃ硬かった。ぶん回してしまいました」
象徴的だったのがフィニッシュの連打シーンだ。
フィニッシュの13連打の中で気付いた今後への課題と教訓
1度目のダウンから立ち上がってきたマクドネルをロープに詰めた直後。左右を振り回した13連打は、よく見ると2発ほどしかクリーンヒットしていない。しかも、その間にマクドネルの右ストレートを2度もらい、わずかながらのけぞる場面もあった。
一昔前ならタイソン、最近ならミドル級で20連続防衛を果たした3団体統一チャンピオン、ゲンナジー・ゴロフキン(カザフスタン)のような豪腕ぶりでなぎ倒してしまったのだが、防御も一流の井上尚弥には珍しい場面だった。
「最後の連打は(試合後に)映像で見たけど、(ガードが)ガラ空きになっていた。あそこで気持ちと体を一体化させていかないと。いつか(パンチを)もらってしまう。修正していかないといけない」
試合後はやはり本人からも反省の言葉が聞かれた。既にマクドネル自身のダメージが深くて事なきを得たが、狙い澄ましたカウンターを打ち抜かれたら井上尚弥とて立っていられたかどうか。
そこまで井上尚弥がヒートアップしたのは、やはり前日計量を巡る一件があったからだろう。
マクドネルは1時間以上も遅刻して井上尚弥を待たせたばかりか、まるで悪びれた様子も見せなかった。
「最後のラッシュしているときは怒っていましたね。それが力みに出ていた」
と井上尚弥は素直に認めた。
実は同じような経験を去年もしている。初めての米国遠征で「KOしたい気持ちが強すぎて」パンチが大振りになってしまったのだ(結果は相手の棄権によるTKO勝利)。試合翌日に襲われた強烈な筋肉痛が、過度の力みを物語っていた。
プロ転向前の2012年ロンドン五輪出場最終予選でも、勝てば五輪切符が手に入るという大一番で前のめりになりすぎ、攻め手にはやって敗れた。今回は三たび、メンタルコントロールの重要性を再認識する機会になったかもしれない。
リング上で高らかに宣言したように、今年秋にも始まる賞金トーナメント大会「ワールド・ボクシング・スーパーシリーズ(WBSS)」に参戦するつもりだ。世界ボクシング機構(WBO)王者ゾラニ・テテ(南アフリカ)やWBAスーパー王者ライアン・バーネット(英国)ら強敵が待ち受ける。
一瞬のミスが命取りになるハイレベルな戦いを前に、今回の圧勝は良いアピール、そして良い教訓ともなったはずだ。井上尚弥はそうやって明日の力に変えることができる、聡明(そうめい)さと意識を持ち合わせたアスリートである。
2017年11月撮影
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※健康、ダイエット、運動等の方法、メソッドに関しては、あくまでも取材対象者の個人的な意見、ノウハウで、必ず効果がある事を保証するものではありません
[文/構成:ココカラネクスト編集部]
井上尚弥 (いのうえ・なおや)
1993年4月10日、神奈川県座間市出身。
今もコンビを組む父・真吾氏の下、小学1年でボクシングを始める。相模原青陵高校時代に7冠を達成し、2012年に大橋ジムからプロ入り。戦績16戦全勝(14KO)。15年に結婚した高校時代の同級生との間に17年10月、長男が誕生した。