【対談】アスリートの引き際に見えて来る境地とは 競輪・後閑信一×ボクシング・八重樫東
プロボクシング・スーパーフライ級で日本人初の4階級制覇を目指す八重樫東選手(35)と、競輪界の「ボス」後閑信一氏(48)の対談。今回のテーマは加齢と引退について。昨年引退を考えたという八重樫選手が、昨年限りで引退した後閑氏の体験談に刺激され、夏に待つ世界前哨戦に向けて「本能」をかき立てられた。
「後閑も年齢だし終わったな」、「八重樫は壊れてる」と言われて・・・
後閑:34歳でタイトルをとった後、ケガもあって、勝負がつらくなってきた。「後閑も年齢だし終わったな」と言われて落ち込んで、へこみました。引退を考えたとき、どうせやめるなら、本当に力がないとわかってやめようと思った。一気に吹っ切れたのが40歳のとき。人の後ろをついて走っていたおじさんが、若い時のように、風を切って先頭を走るスタイルに戻したんです。挑まれるほうから挑む側になったら、すごく気持ちが楽になったんですよ。
八重樫:ぼくもスタイルを変えるきっかけがありました。距離をとるアウトボクシングが得意だったんですが、20代半ばのころ、ただただ気持ちで押されて、僅差の判定で負けた試合があった。プロは勝負に対する気持ちの強さを表現していかないといけないんだと。気がついたら手数が出るようになって、ファイターになっちゃってました。勝ちへの気持ちで前面に出すことで、「打ち合い」が代名詞と言われるようになりました。
後閑:40歳をすぎて、戦法を若いころのように自力型に変えるのは前例のないことでした。この年だから負けて当たり前。そしたら43歳のおじさんが、7年ぶりにG1タイトルをとっちゃった。中堅、ベテラン選手には「後閑みたいになればいいんだ」と思った人がたくさんいたみたいで。年齢なんか関係ないって。
八重樫:すばらしいことですね。やめようと思う時期が、自分の場合はそれこそ去年でした。負けてタイトルがなくなった。3階級制覇したし、もういいだろと思った。ただ、負け方が1ラウンドKO。「八重樫は壊れてるから、もうやめたほうがいい」「限界」と言われました。たった2分ちょっとを見た人に「おまえポンコツ」と判断されたことに対して、すごくムカついたんです。見返してやるという証明をしたくて、リングに戻ったという部分もあります。
日本人の体の使い方を極める方が長続きする
後閑:現役は気持ちがすべて。後輩選手に、やめるときはどういう時か聞かれました。本能でわかる。気持ちがスーッと抜けてなくなる。女房となんで結婚したか説明できるか? できないだろ。それと同じ。「これか」ってわかるから。それまで八重樫さんも安心して続けてください。経験があって、チャレンジャーになった選手は強い。
八重樫:勇気をもらえます。階級を上げてもっと体格差が出るので、チャレンジしかないです。いまの階級でタイトルをとれば、日本人で誰もやったことがない4階級制覇。そこに何かを見いだせると思っています。
後閑:35歳なんてまだまだ若い。世界をとれます。 競輪も国際化が進んで、外国の選手を見て勉強する機会が増えました。まねして強くなる人もいるけど、一方で合わなくて体を壊す人もいる。「のこぎり」でいうと、外国製は押すと切れる、日本製は引いて切れる。同じものを食べても、腸の長さは日本人が全然長い。根本的に体や、力の出し方が違うんです。日本人は、日本人の体の使い方を極める方が、長続きする。ぼくは柔道と剣道の初段を持ってますけど、動画を見るなら、日本人のしなやかな動き、古武術を見た方が参考になります。
八重樫:お話を聞いていると、後閑さんは求道者というか、昔のサムライみたいな感じですね。すごく勉強になります。
後閑:競輪で後ろばかり振り向く選手がいるんですけど、目で見て反応してからじゃ遅い。練習のときから、試合を想定して「無」にならないといけない。本能のままに走っていると、音や気配で後ろから上がってくるのがわかる。そこで肘をかければ、相手の動力をもらって進める。考えて脳から信号を出すのでは遅い。無になること。集中して「ゾーンに入る」という言葉が、それだと思う。目でやろうとしても遅い。
八重樫:その通りです。目で追いかけすぎると、パンチをもらっちゃうんですよね。自分は相手の胸のあたりを見て、予測で動くタイプ。目で見てない状況のほうが、気配を察知できたりする。
後閑:選手としては、商品としての「見せ方」を常に考えていました。後閑が走れば見にいきたいと思わせるには、目を引くレースをしないといけない。マーク屋に転向したら後ろの選手をバチバチ、ブロックして、「あいつの横にいったら怖いだろうなー」という見せ方もした。ただタイトル争いを公言した自分がパフォーマンスを出せないとわかって「無駄なお金を使わせてしまう」「商品として売り物にならない」と思ってやめちゃった。次の開催に向けてトレーニングしていて、女房に言ったのも引退する前の日。「えっ?」て言われました。
八重樫:そうだったんですね。負けてタイトルをなくしてから、自分は1年間何もしなかった。今年3月に復帰戦(2回TKO勝ち)をしたんですが、もう1回やると決めてから、試合までの準備期間がすごくいい時間を過ごせた。試合に向かう感覚。あれもやりたい、これもやりたい。「これがオレだよな」と再確認できました。そういう気持ちが消えてしまったら、もうリングに上がれないんだろうなと思います。いま取り組んでるのは、アンチエイジング。感覚を取り戻すことに重きを置いています。
後閑:若くてベストコンディションのときは、体が「でんでん太鼓」のようになっていました。背骨を通して動く。年をとって、太鼓の動きが硬くなってきた。それを練習して練習して感覚を取り戻したときに、また体の連動感が出てくるんですよ。
引き際は本能で分かる
八重樫:試合までの過程をどこまで充実させていくのかが重要だと思います。もっと足を使って、アウトボクシングをしながら、最終的にはバチバチ打ち合って勝ちたいという理想のスタイルはある。それを追い求めて模索していく。でも、ボクシングが終わっても、きっと答えは出ないんだと思います。行くも地獄、引くも地獄(笑)。どこまでいっても、この道は続く…
後閑:終わりがないんですよね。わかります。常に止まらない下りのエスカレーターに乗ってる感じ。何歳までっていうのはない。競輪をやめたら、死ぬかと思ってました。でも、今はまったく喪失感がない。引き際は、本能でわかりますから。
八重樫:命をかけてやりきったから、今すがすがしくいられるんですね。後閑さんが長く選手を続けられた理由がわかりました。いろいろなことを研究されて、言葉にできて、なんというか、もう生命体のレベルが違います(笑)
後閑:こちらこそ八重樫さんとお話しして、これまで取り組んできたことの「答え合わせ」ができました。 日本人初の4階級制覇を目指して、頑張ってください!
八重樫:ありがとうございます。次の試合が決まりました。8月17日、東京・後楽園ホールで世界ランカーの向井寛史くん(32歳)とノンタイトル戦です。世界へ通じるサバイバルマッチ。5年ぶりの日本人対決でもあり、燃えています! 応援よろしくお願いします。
■編集部からのお知らせ
3月7日に発売の雑誌「CoCoKARAnext」では読売ジャイアンツ・菅野智之投手のインタビューの他、プロ野球選手に学ぶ仕事術などストレスフルな時期を乗り越える情報を掲載。
※健康、ダイエット、運動等の方法、メソッドに関しては、あくまでも取材対象者の個人的な意見、ノウハウで、必ず効果がある事を保証するものではありません。
[文/構成:ココカラネクスト編集部]
八重樫 東(やえがし・あきら)
1983年(昭58)2月25日、岩手県北上市生まれの35歳。拓殖大学在籍時に国体でライトフライ級優勝。卒業後、大橋ジムに入門。元WBA世界ミニマム級王者、元WBC世界フライ級王者、元IBF世界ライトフライ級王者と世界3階級制覇を成し遂げる。スーパーフライ級で日本人初の4階級制覇を目指す。プロ通算32戦26勝(14KO)6敗。162センチ。右のボクサーファイター。
後閑 信一(ごかん・しんいち)
1970年(昭45)5月2日、群馬県前橋市生まれの47歳。前橋育英高校卒業後、65期生として日本競輪学校に入学。在校成績5位で卒業。90年4月に小倉でデビュー。96年G2共同通信社杯(名古屋)でビッグレース初V。GⅠ優勝は05年競輪祭(小倉)、06年寛仁親王牌(前橋)、13年オールスター(京王閣)。通算2158戦551勝。愛称は「ボス」。獲得賞金12億6420万4933円。176センチ、93キロ。