「ダカールラリー」がアフリカで開催されなくなった理由とは?
世界一過酷なラリー大会といわれるのがダカールラリーだ。
「ダカール」とは西アフリカにあるセネガルの首都のこと。広大なサハラ砂漠を20日間近くにわたって走破する冒険ラリーのイメージはあるが、それは過去の話。現在、競技が行われているのはアフリカではない。どこかと言えば、中東のアラビア半島。サウジアラビアで開催されている。伝統の箱根駅伝を、名前だけ残して北海道で行っているようなものだ。
ダカールラリーを戦うトヨタ・ハイラックス(トヨタ自動車提供)
最後にアフリカが舞台だったのは今から14年も前の2007年。その後に南米に引っ越しをし、アルゼンチン、チリ、ペルーなどを中心に行われていた。サウジアラビアで競技をするようになったのは昨年からだ。
日本では「パリダカ」の愛称で親しまれ、モータースポーツの世界では新年の風物詩だったが、アフリカから離れた理由は現地の治安の悪化にある。ちょうど国際武装勢力アルカイダのテロ事件が世界的な問題となっていたころで、出場選手が移動中に銃撃されたり、盗賊に襲われたりするなど格好のターゲットになっていた。
私も1998年に初めて取材に行ったが、ある日本人チームのマシンは銃撃を受けて車体に銃弾の跡がくっきりと残っていた。武装集団が競技ルートの途中に私設の関所を作って不法に通行料金を巻き上げていたこともあった。2000年の大会ではテロ予告があり、途中で競技を中断。全車両を安全な地までトラックも格納できる大型貨物輸送飛行機で運ぶという大掛かりな対応策で大会を成立させた。
アフリカ時代は1万キロを走破しており、その日のゴール地点となるビバークに、選手、関係者、メディアのほとんどが寝泊まりする。ビバークは砂漠の中の飛行場が多く使われ、現地ではテント生活。メディアは主催者が用意した輸送機や旅客機を使って空路で次のビバークに先乗りするが、着陸後に必ず日課が自前のテントを張ること。仕事を片付けた後は寝袋にくるまって夜を明かす。
ケータリングサービスはあるが、ビバークに便器というものはあまりなく、砂地に深く掘られた穴をまたぎながら用を足す。周りは申し訳程度に生け垣に囲まれているが、屋根はない。参加者は1000人を優に越すため、便が積み重なって翌朝には中腰でしなければいけないほどだった。シャワー施設もあれば御の字。時には泥水のシャワーを浴びたこともあった。