「1、2、5、6、9、0」中日の背番号1桁台が激変!その意図は?
球団関係者は「2004年にも1桁台が5人も入れ替わった。その年は落合博満氏が中日の監督にして1年目のシーズンだった」とする。04年は見事にリーグ優勝を果たし、07年には日本一に輝くなど11年まで4度のリーグVを成し遂げ、黄金時代の元年にもなっている。
指揮を執る立浪和義監督が師と仰ぐ故星野仙一氏は中日の監督に就任して2年目の1988年に1桁台を大きくいじっている。球団として初めて「0」を採用するなど5人が新たな1桁台の数字をまとった。その年にPL学園高からドラフト1位で入団したのが立浪監督。1年目から「3」を与えられ、いきなりレギュラーとして活躍した。
そのシーズンは巨人に12ゲームの大差をつけてリーグ優勝を成し遂げている。今季リーグ最下位だった立浪監督も先人にならって背番号1桁台にメスを入れたのかもしれない。
[文/構成:ココカラネクスト編集部]
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