澤村拓一が日本人選手8人目となるレッドソックス入団 過去7人の選手の驚くべき成績とは
野茂英雄はドジャース、メッツ、ブルワーズなどで実績を残し、メジャー8年目の2001年に1年契約で加入した。デビュー戦の4月4日オリオールズ戦が圧巻。いきなり自身2度目のノーヒットノーランを達成し、11三振を奪った。33試合に投げ、13勝10敗、防御率4・50という好成績を残し、220奪三振で2度目の最多奪三振。オフにはFAとなり、古巣のドジャースへ復帰。1シーズン限りのプレーだったが、鮮烈な印象を残した。
先発投手が2人続いたが、存在感を発揮したリリーバーも数多い。田澤純一は2008年、新日本石油ENEOSから日本のプロ球団のドラフト指名を断り、メジャー契約を結んだ。1年目はマイナースタートでまず育成を施され、8月にメジャーデビュー。2年目は右肘のトミー・ジョン手術で全休したが、3年目の後半に復帰を果たし、翌2012年からはブルペンに不可欠な存在となった。世界一に輝いた2013年は上原につなぐセットアッパーとして活躍し、この年から4年連続で50試合以上に登板。在籍7シーズンで302試合に投げ、17勝20敗4セーブ、防御率3・58の成績を残した。
松坂と同期入団だった岡島秀樹は、良い意味で期待以上の活躍をみせた。1年目から4年連続50試合以上に登板。特にルーキーイヤーはオールスターにも選出され、ワールドシリーズ優勝への貢献度は松坂以上とも言えた。在籍5シーズンで261試合に投げ、17勝8敗6セーブ、防御率3・11の好成績だった。
斎藤隆は在籍1シーズン限りだったが、2009年に中継ぎで光った。56試合に投げ3勝3敗2セーブ、防御率2・43。勝ちパターンの投手として活躍した。
そして日本人で初めて伝統球団であるレッドソックスのユニホームに袖を通したのが大家友和。横浜ベイスターズを高卒4年目で球団の了承の下で自由契約となり、レッドソックスとマイナー契約。1年目の1999年7月にメジャーデビューを果たした。メジャーとマイナーを行き来しながら、3シーズンで33試合に投げ、6勝13敗、防御率4・61。2001年のトレードデッドラインの7月末にエクスポズへトレードされ、その後の活躍は周知の通り。メジャー通算51勝を挙げた。
澤村で日本人選手は8人目だが、野手は一人もいない。そして過去7人の投手は、はっきりと爪痕を残す活躍を重ねてきた。日本人名投手たちが連ねてきた系譜に、SAWAMURAの名を刻むことができるか。
※健康、ダイエット、運動等の方法、メソッドに関しては、あくまでも取材対象者の個人的な意見、ノウハウで、必ず効果がある事を保証するものではありません。
[文/構成:ココカラネクスト編集部]
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