堀口恭司が拠点のフロリダへ帰国、「0泊4日」の珍道中を語る
「学生の旅みたい」と言う0泊4日の珍道中
堀口は日本滞在中の10月12日、13日に日本列島を襲った台風19号の進路を1週間ほど前からにらめっこしながら複数の移動プランを立てて来た。
しかし、結果的に日本時間の10月10日夕方にフロリダの空港を出発してから、10月13日の夜に実家の群馬県高崎市に帰るまで「0泊4日」の脅威の旅となってしまった。
フロリダ→東京→大阪→東京→高崎の「0泊4日」の旅は、以下の通りだったと振り返る。
■10/10(木)
日本時間の夕方(現地時間・早朝)、アメリカ・フロリダ州の拠点「アメリカン・トップ・チーム」の寮を出発
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最寄の空港・フォートローダーデールからヒューストン経由で成田空港へ。
■10/11(金)
元々、12日に大阪で行われるRIZIN.19には、12日の朝に新幹線で移動し、13日の朝から東京・両国国技館で行われる「ONE
CHAMPIONSHIP」での中継解説のため、12日中に東京へ新幹線で移動する予定だった。しかし、11日の日中に堀口が機上にいる間に「10月12日は新幹線が終日運休」と言う発表がされた。
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夕方に成田空港へ堀口が到着、その後、都内の病院で検査、治療を行う。
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20時半頃に新大阪へ新幹線で向かおうと東京駅へ向かったが、新幹線改札も長蛇の列、ホームに上がったがほとんど進めない。
機内食を食べて以来、食べ物を口にしていなかったため弁当を買おうとしたが全て売り切れ、2時間前には出ているはずの新幹線がまだ東京駅のホームに停車している状態を見て、新幹線を断念。
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マネジメント会社の車輛で大阪へ向かうことに。21時頃に東京駅を出発。
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夜中2時~3時とかには大阪に着けるだろう、次の日のRIZINは午後からだから大丈夫だろうと考えていた。
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比較的順調に東名高速道路を走るも、御殿場から新東名高速道路に乗り換えようとするも手前10kmほど並んでおり、御殿場から新東名高速へ乗り換えるルートを回避し、沼津ICか富士ICで降りて新東名高速へ向かおうとする。
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沼津ICを過ぎて富士ICの手前5kmから渋滞、6~7時間くらい動かず。
富士IC-清水ICの区間は高波で封鎖のため、富士ICで降りたり、新東名に乗り換える車両でごった返していた。その手前でずっと監禁状態。
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渋滞の理由が出口渋滞、西富士道路の渋滞など様々な要因が考えられたが、6~7時間の間に1mも進まず心折れて、運転手が寝てる車やトラックが多く、それが車線を塞いでいた。動き出してから取り残されていた車が多かった。
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渋滞を抜けてから、静岡SAに寄り、食料とガソリンの補充をしようとしたが、ほぼ売店、コンビニに食料がほとんど無い状態。
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堀口恭司とマネジメント会社社員2名の計3人で東京駅を出発したが、ついに三重県長島辺りでここまで10時間ほど運転して来たマネジメント会社社員2人が力尽き、堀口本人が最後の大阪の目的地まで運転。
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12日の朝10時に大阪のホテルに到着。
■10/12(土)
ホテルで数時間仮眠
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RIZIN.19ゲスト出演のため、エディオンアリーナへ。
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翌朝、新幹線が動いている確証がなく、しかし13日午前にはAbema TVでのONE CHAMPIONSHIP解説のため、両国国技館に着かないとならず、3時に起きて車で出発する事に。
■10/13(日)
3時半頃に大阪のホテルを出発したが、静岡県浜松から東の高速道路、主要道路が全て交通規制で封鎖。
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既に大阪、東海地方はもちろん、関東圏も台風は通り過ぎていたので、走っているうちに解除される事を願いながら走ったが、全く解除、改善の兆しがない。
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朝5時過ぎ、滋賀か三重あたりを走っている途中、新幹線が復活する情報をスタッフがインターネットで確認。
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浜松から東の道路が解除されないため、名古屋駅へ向かい、新幹線で移動。
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6時40分に名古屋駅から新幹線に乗車。自然災害のため、豊橋、熱海の近辺でところどころスピードダウン。
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9時半頃、両国国技館に到着。Abema TVでの「ONE CHAMPIONSHIP」中継にゲスト解説で出演。
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15時頃、ONE CHAMPIONSHIP第一部、全ての番組が終了し、両国国技館を出発。
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群馬県高崎市内の実家へ帰り爆睡。
堀口は「まぁ、なかなか無い経験で。いわゆる『学生の旅』みたいなのって経験した事なかったんで、楽しかったですけどね(笑)」と、前向きにとらえた。