「平成の大エース・斉藤雅樹」、時代を築いてきた野球論〜ドラ1からの転換期、そして挫折〜

タグ: , , 2019/4/13

 「東京で2月を迎えたのは高校2年生以来、35年ぶりくらいですね。高校3年からずっと2月はキャンプに行っていたので。2001年に引退して、以降はコーチとして昨年までキャンプに行っていました。2004年・2005年だけ現場を離れていましたけど、その時も2月1日はどこかのキャンプの取材に行っていましたからね。ユニフォームを脱いでホッとした気持ちもありますけど、いざ脱ぐと暇ですね(笑)」

 そう、笑顔で話してくれたのは「平成の大エース」・斉藤雅樹さん。球界の盟主・ジャイアンツのエースとして、在籍19年で6度のリーグ制覇、3度の日本一に大きく貢献した。

 個人の成績で見れば、さらに圧巻だ。

 タイトルでは、最多勝利を5回(日本記録)、最優秀防御率を3回、最多奪三振を1回、最高勝率を3回獲得。そして、MVPを1回、沢村賞を3回(日本記録)、最優秀投手を5回、ゴールデングラブを4回など、数え切れないほどの表彰も受けた。その上、11試合連続完投勝利や3年連続開幕戦完封などの日本記録も樹立した、記録にも記憶にも残る平成を代表する投手だ。

 そんな偉大なピッチャーでありながら、誰に対してもとても物腰柔らかく、笑顔で対応してくれる斎藤さん。温厚すぎる、謙虚すぎるとも取れるその性格ゆえに、入団当初は「気が弱い」「ノミの心臓」と揶揄されることもあった。「優しすぎる投手」から「平成の大エース」へ、その進化の過程を聞いた。

 第一回は野球との出会いからドラフトの裏話、代名詞であるサイドスローへの転向秘話について。

「大学に行ったつもりで4年間やる。ダメなら次の仕事を探すという気持ち」


−−野球を始めたきっかけを教えてください。
斉藤:リトルリーグに入ったのは小学校5年からですね。今のリトルは小学校1年生から始める子も多いので、野球を始めるのには少し遅かったですね。ただ、僕らの頃はせめて4年生くらいからだったと思います。そこから本格的に野球を始めましたね。

−−進学された市立川口高校では、甲子園出場経験はないですよね?
斉藤:あと一歩のところで出場できませんでした。3年生の埼玉県大会決勝で熊谷高校に負けてしまいました。僕たちの頃は春の選抜も出ているくらい上尾高校がとても強かったのですが、上尾高校が3回戦くらいで負けてしまって。それで、「お、行けるかな」と思っていたんですけど、最後で負けちゃいましたね。

−−高校の時からエースでしたか?
斉藤:1年生の時はセカンドなども守ったりしていました。その時は2年、3年にエースがいたので。1年生の時からピッチングもしていましたけど、高校で最初に公式戦に出たのがセカンドです。本格的に投げ始めたのは僕たちの代になってからですね。最後は4番でエースでした。

−−甲子園は出場されていませんが、それでも巨人のドラフト1位。
斉藤:荒木大輔のハズレ1位ですけどね(苦笑)。たまたま、3年生の6月くらいだったと思うのですが、荒木大輔擁する早稲田実業との練習試合があって。その試合にスカウトの方が何人か見に来ていたようです。1-0で試合には負けましたけど、三振もそれなりに取れたので、アピールできたのかなと思っています。

 いくつかの球団からも熱心に誘われていたのですが、いざドラフトではジャイアンツの方が先に僕を指名してくれました。ジャイアンツから1位指名というのはビックリでしたね。

・合わせて読みたい→
日本球界の新エース候補、大谷翔平が2017年に対戦した中で一番と言わせた投手は?(https://cocokara-next.com/athlete_celeb/new-ace-candidate-of-japanese-baseball/)

「アスリート/セレブ」新着記事

『CoCoKARAnext』編集スタッフ・ライターを募集

CoCoKARA next オンラインショッピング

PICK UP 【期間限定販売】浅倉カンナ ラストファイトメモリアル 拳トロフィー

浅倉カンナの左拳を本人から腕型を採取し、トロフィーとして完全再現させていただきました。 血管やしわの細部までに忠実に再現した、大変貴重なトロフィーとなります。

商品を見る CoCoKARAnext
オンラインショップ

おすすめコラム