東京五輪に望む侍ジャパン「選手のコンディション管理」が重要 前回北京五輪後、ケガでペナント復帰できなかった2人の選手とは?
プロ野球キャンプも中盤にさしかかろうとしている。12球団のキャンプ地で、今年ならではの注目を集めているのが侍ジャパンの稲葉篤紀監督。7月に大一番となる東京五輪が控えている。
五輪で野球競技が実施されるのは、2008年の北京五輪以来。その北京ではメダルなしの4位という屈辱的な結果に終わった。自国開催となる東京五輪での金メダルは「悲願」ではなく「義務」、と言わんばかりに、視察している稲葉監督も、代表候補選手も五輪への意気込みを熱く語り続けている。
前回北京五輪後、ペナント復帰できなかった2人の選手
もっとも各球団のファンからしてみれば、ひいきチーム出身の選手が日の丸を背負ってヒーローとなるのは素直にうれしいが、それ以上に怖いのがケガである。
東京五輪の野球日程は、7月29日に開幕し、決勝が8月8日。開幕戦は福島県の県営あづま球場で行われ、それ以外の試合は全て横浜スタジアムで開催される。1日2試合組まれている日も多く、デーゲームも行う。真夏の屋外球場、しかも午後0時開催の試合を含むという過酷な状況下で、精神面でのプレッシャーも計り知れない。
前回北京五輪後、体が悲鳴を上げて、ペナント復帰できなかった選手が2人いた。
まずは4番を務めた阪神・新井貴浩。帰国後に大阪市内の病院で検査を受け「第5腰椎の疲労骨折」と診断された。全治2カ月の重傷だった。北京五輪では全9試合に出場して1本塁打、7打点の成績だった。後にケガで野球ができなくなっても構わないという気持ちで戦っていた、と述懐している。
東京五輪では新井の後輩であり、後継者である広島・鈴木誠也が4番の最有力候補に挙がっている。2017年には守備で右足を骨折。翌2018年はまだ万全とは言えない状態ながら、チームのため歯を食いしばって全力プレーを貫いた。気持ちでカバーするタイプで、そこも新井との共通点。東京五輪の後遺症は、戦う前から鯉党の心配の種に違いない。