白血病から2年・・・延期されなければつかめなかった池江の東京五輪切符
感動の泳ぎに、涙した人も多いはずだ。
白血病で長期療養していた池江璃花子(20)が驚異的な回復を見せ、実戦復帰からわずか8カ月で東京五輪代表に内定した。五輪選考会を兼ねた4日の競泳日本選手権100メートルバタフライ決勝で57秒77を出して優勝。メドレーリレーの派遣標準記録57秒92を突破し「勝てるのはずっと先のことだと思っていた。今までのつらかったことを一瞬で思い出した。言葉にできない」。想像を絶する苦労がよみがえり、水の中で喜んで泣いて感情が爆発。気持ちの整理がつくまで、激闘を終えたプールからしばらく上がることができなかった。
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自由形とバタフライで日本記録を次々と更新し、国内敵なしだった天才スイマーを病魔が襲ったのは19年2月、高校3年生の18歳のときだった。血液のがんである「急性リンパ性白血病」と診断された。抗がん剤治療を受け「1日に何度も吐き気があったり、食欲がなく全部点滴から栄養を入れてもらったり。思ってたより、数十倍、数百倍、数千倍しんどい」。髪の毛は抜け、体力的にも精神的にも苦しい時期が続き、意志の強い池江でも心が折れそうになった。
合併症を併発して退院予定が延び、治療法を造血幹細胞移植に切り替え、入院生活は同年12月まで及んだ。翌20年3月、約1年ぶりにプールに入れるまでに回復。体重は15キロも減り、筋肉が落ちた。当初はスタート台から飛び込むのが怖くて、おそるおそる下から水に入った。得意のバタフライは25メートル泳ぎきるのがやっと。「24年パリ五輪出場」と現実的な目標を立てた。
再び泳ぐことができる喜びをかみしめながらも、ブランクは想像以上。チームメートの誰にも勝てず、歯がゆい日々が続いた。「もし病気になっていなかったら、もっと速く強くなれた。水泳で積み重ねてきたものが完全に失われた気がした。ダントツに遅れている自分が受け入れられなかった」。病に倒れるまで、国内では「勝ちたいと思わなくても勝っちゃっていた」。世界との戦いを見据え、記録とばかり戦っていた。