「ベーブ・ルースの再来」と指摘される大谷翔平 伝説のルースでも投打二刀流を続けられたのは実質〇シーズン?!
1915年は32試合で18勝8敗、防御率2・44、1916年は44試合で23勝12敗、防御率1・75、1917年は41試合で24勝13敗、防御率2・01。この3シーズンが投手としての最盛期にあたる。
その3シーズン、野手としての先発出場は一度もなかった。代打起用された試合が10試合前後ある程度。ルースが正しくリアル二刀流としてフル稼働したシーズンは、実は2年間しかない。1918年と1919年だ。
1918年は投手として20試合に投げ、13勝7敗、防御率2・22。初めて野手としても一塁、中堅、左翼で先発出場を始めた。投打合わせて126試合中95試合に出場し、95安打、打率・300、11本塁打、61打点。当時はまだ飛ばないボールの時代で、ティリー・ウォーカーと並び本塁打王に輝いている。
1919年は投手として17試合に投げ、9勝5敗、防御率2・97。野手も含めて137試合中130試合に出場し、139安打、打率・322、29本塁打、113打点で本塁打と打点の2冠王となった。本塁打は2位のフランク・ベイカー(ヤンキース)が10本塁打で19本差、打点も2位のボビー・ビーチ(タイガース)が97打点で16点差とともに大差を付けていた。この年はほぼ左翼に専念し、一塁と中堅で出たのはほんのわずかであった。
今季の大谷は登板前後の試合も野手出場を続けている。またルースの時代にはなかったDHでの負担軽減という恩恵も受けられている。今も伝説に残るルースでも、実質2シーズンしか続けられなかった投打二刀流。その過酷なチャレンジを今後どこまで続けられるのか。大きな試金石となる大谷の2021年シーズンは、疲労がたまってくる勝負の夏場へと向かおうとしている。
※健康、ダイエット、運動等の方法、メソッドに関しては、あくまでも取材対象者の個人的な意見、ノウハウで、必ず効果がある事を保証するものではありません。
[文/構成:ココカラネクスト編集部]
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