【前編】金メダルへのコーチング、体操ニッポンを支えたあるコーチの挑戦
開幕した東京五輪は連日金メダルラッシュとなり、熱戦が繰り広げられている。4年に1度行われる五輪、選手はもちろん、それを支えるコーチにもドラマがある。今回は2000年のシドニー五輪から5大会連続で体操日本男子の代表コーチを務めてきた森泉貴博氏をクローズアップ。団体で2つの金(2004年アテネ、16年リオ)をもたらすなど、「体操ニッポン」復活に大きく貢献したコーチングの極意とは? そこには我々の日常生活にも通じる大事なエッセンスがあった。
コーチングの恩師
森泉コーチがコーチ人生を振り返る上で欠かせない恩師が、元ソ連の金メダリストでもあるニコライ・アンドリアノフ氏だという。同氏とは大学卒業後に職を得た朝日生命体操クラブで一緒になった。「最初の8年間、戦略、戦術とか基本のことをずっと習っていて。ソ連時代、世界チャンピオンを何人も育ててきた方でとても勉強になりました」。
その時の教えでとても印象に残っていることは、選手への接し方だったという。「『氷柱』とか『木柱』といった表現を使い、教えてくれました。大体18~20歳ぐらいまでは氷柱とか木柱をけずって、自分の形を作り上げていく時期。一方で20歳以上になっていくと大人になってきて「氷柱」「木柱」という作品をそれ以上削ることができない。今度はそれを見ながら、氷柱だったら溶けていく、木柱だったら腐っていくのを補修してさらにいいものを作り上げていくんだと習いました」。
同氏が意図したことは選手へのアプローチの方法だった。
「20歳ぐらいまではコーチングのスタイルとしては見ること、いわば『ウォッチング』を重視する、そして20歳以上の場合は、いい形を想像しながら見る、つまり『見る』→『観察する』コーチングに変わっていくのを意識しろといわれました」
ジュニア時代は体の使い方を始め、手取り足取り教えて選手を作り上げていく時期、しかしそれを越えると選手個々の特性を見極めるためにもじっくり観察する時期に入るというのだ。
「最初、その選手のコーチになりたてのときはしっかりと見る作業、ヒザならヒザをしっかりさわってあげて、こう曲げるんだよとか伝えます。その後、成長していけば、1週間とか一言もアドバイスせずに、次の練習のときにアドバイスする、いわば「観察する」コーチングに移行していきます」