「JFK」から「スコット鉄太朗」まで… 定着した「勝利の方程式」と最初に呼んだのは?
ファン感謝イベントを終えると、プロ野球はすっかりオフシーズンとなります。ペナントレース中の疲れを癒やして、来季に向けて再び活力をみなぎらせる時期。特に中継ぎ、抑えでフル稼働したピッチャーにとっては、つかの間の休息の日々であることでしょう。
最初に「勝利の方程式」と呼んだのは
勝ちパターンの中継ぎ、抑えを「勝利の方程式」と呼ぶことになったのは、巨人の監督だった長嶋茂雄さんの影響と伝わっています。1993、94年に橋本清から石毛博史への継投策を、そう命名したと言われています。「ミスターが言えば定番化する」が球界の常識。えっ、高橋由伸のニックネーム「ウルフ」はどうかって?何事にも例外はあるものです。
この勝ちパターン継投、なぜかスポーツメディアは愛称で呼ぶのがお好きのようで…。ファンに定着した歴代「勝利の方程式」の呼び名を挙げてみました。
【JFK】
2005年の星野阪神をリーグ優勝に導いたジェフ・ウィリアムス、藤川球児、久保田智之の頭文字を取ったものです。
元ネタは米大統領のジョン・F・ケネディ。そもそもはサンケイスポーツの「発明」と言われています。スポーツ各紙は基本バチバチの競争ですから、「他紙考案のニックネームは採用しない」が不文律。しかし、あまりにデキが良すぎて、各紙も追随する形になりました。すごいぞJFK。
【YFK】
そしたら同じ05年、バレンタイン監督率いるロッテも終盤の勝ちパターンが確立して、31年ぶり日本一を成し遂げます。
この原動力が薮田安彦、藤田宗一、小林雅英の「YFK」です。
日本シリーズでは本家「JFK」を凌駕して頂点へ。セ・パ両リーグで「勝利の方程式」が機能したことから、これら強力リリーフ陣を完備することが優勝への近道とばかりに、球界へと定着することになります。
【クアトロK】
06年、最下位に沈んだ横浜ベイスターズでしたが、木塚敦志、川村丈夫、加藤武治、マーク・クルーンによる勝ちパターン継投「クアトロK」は鮮烈でした。
シーズン後半になると登板時には電光掲示板に「クアトロK」の4人が映し出される演出も斬新で、ベイ党の心を躍らせたものです。しかし、4投手もいるのに全員が右投げ…バランスの悪さは否めませんでした。