新天地で存在感を増す仕事人 三河の須田侑太郎が「一家に一台ほしい選手」を目指すワケ
須田はシューターとしての役割を強く意識している©SeaHorses MIKAWA co.,LTD.
ーーリッチマンHCは35歳と、33歳の須田選手と非常に年齢が近いですが、NBAでのコーチ経験もある彼の指導法などで目から鱗が落ちるようなことなどはありましたか?
日頃の練習の組み立て方もそうだし、プレーの引き出しとか彼の言動っていうのは今まで僕がプロでやってきたコーチたちにはあまりいなくて、新鮮といいますか、また新しい風が吹いているなっていう感じはあります。すごく刺激的だし、年齢のことはそんなに感じはしないですけど、でも彼もアクティブで選手と一緒に汗を流してっていう姿勢は選手としてもすごくありがたいなというか、一緒に頑張っているっていうのが感じられます。彼もヘッドコーチとしては2年目とか3年目だと思いますし、彼自身もすごく学びながらこのチームに向き合っているので、よくコミュニケーションを取りつつ一緒に成長していけたらいいなと思っています。
ーーリッチマンHCが来てから三河は長い連敗が少ないですし、試合の中でも劣勢から挽回するのがうまい印象です。そのあたりの要因についてはどう感じていますか?
連敗が少ないのは本当にすばらしいことです。リッチマンHCのアプローチを見ていても、彼がこちらの腑に落ちるようないい言動をしてくれるので、選手としては受け入れやすいですね。
厳しい状況はあるとはいえ、これはリッチマンHCも含めてですが、アップダウンがあまりない。去年は外から見ているとちょっとアップダウンがあるような印象があって、そのダウンをしている時に連敗があったのかなっていう。でも、誰にでも波は絶対にあるので、リッチマンHCはその波がアップダウンする時の上がりをなるべく早くする働きかけをしていますし、選手としても1人、1人、そういう意識を持っていて、そういった相乗効果で去年とは勝率は今のところ同じような感じですが、またちょっと中身が違うんじゃないかなっていうのが僕の想像です。
ーーそのあたり、成果が出てくるのはこれからという感じでしょうか。
そうですね。まだ「やばい」状況にはなっていないというか。仮にそういう状況になった時にどうなるのか。その時にチームの真価が問われると思うんですけど、まだそこまで行っていないし、そこまで行かないようにしていますし。それはリッチマンHCの言動もそうですし、選手同士のコミュニケーションもそうで、同じような勝率でも去年とは違う部分もあるのかなという感じです。
ーー須田選手はプロキャリアでは5チームに所属してきました。リンク栃木ブレックス(現宇都宮ブレックス)、琉球ゴールデンキングス、A東京、名古屋D、そして三河といずれも歴史と実績のある強豪ばかりです。そうしたチームから請われる理由はどういったところにあると感じていますか?
そうですね。ぱっと思いつくのは、ディフェンスからハッスルができる、泥臭いところでも仕事ができる徹底力という能力はある程度あったからですかね。自分自身の大きなテーマが「一家に一台ほしい選手」になりたいというか、どのチームに行ってもちゃんと活躍できるというか。ディフェンスやルーズボールとかそういう泥臭い部分もしっかりとできる選手がいることの大切さは、強いチームはわかっているし、自分としてもその意識はあったので。
行くチームごとに成長をさせてくれる、コーチとか選手など導いてくれる人がいたりもしたし、タイミングとかいろいろありますけど、でも僕自身が大事にしてきたものがあるから、そうやって声をかけてもらえているというところもあるという感じですかね。
これから僕も年齢を重ねて、衰えみたいなところも出てくると思うし、若い選手が出てきたらまた立ち位置や立ち回り方も変わってくると思うんですけど、でもしっかりと求められることを理解して、プレーを遂行する、泥臭い部分というか、そこは現役でいる限り継続して行きたいですし、ずっと高めていきたいなと思います。
ーー須田選手でもう一つ際立つのが、遅咲きであることです。男子日本代表に選ばれ始めた時期が遅かったというのが大きいとは思いますが、いずれにしても昔よりも近年のほうがより須田選手が求められていることの証でもあるように感じられます。ご自身ではそのような感覚はありますか?
そうですね。やっぱり役割が変わってきたといいますか、日本代表を経験してシューターというところがより強調されたといいますか。そこから元々あった自分のベースの上にシューターという役割をトム(・ホーバスHC)さんに見い出してもらって、それと同時にドルフィンズではショーン(・デニスHC)さんのバスケットスタイルで3年間、やらせてもらって、「須田はシューター」っていうのは、代名詞じゃないですけどその印象みたいなものは自分の中でもそうですし、周りの人たちに対しても示すことができたと思います。
それ以前は、仕事人的なところ、いぶし銀で安定的にできる選手という意味で一家に一台という表現をしましたが、代表を経験することでシュートに特化した選手という風になったなというのは思っていて。そこが一番求められているところになりますし、それがまた高いレベルで要求されています。なので、名古屋Dから三河への移籍はそれまでとはちょっと違うニュアンスだったと思います。ここへはやっぱりシューターとして導いてもらったという意味では、それまでの移籍とは違っています。だからこそその難しさも感じますし、スタッツを見ても満足のいくスタッツじゃないし、そこのギャップについては僕の中でももがきながらといいますか、日々、自問自答しながらやっている最中です。
ただ、遅咲きとおっしゃっていただいたことは僕自身もそう感じていますし、時間をかけてやればその後に花が開くパターンも幾度となく経験してきました。なので、ある意味で(うまくいかないという)負荷がかかる状況も絶対に必要だし、それ(に順応する時間を)をいかに早くしていけるかっていう作業をするというイメージですよね。






