ソフト・金メダリスト山田恵里の「心のマネジメント術」~燃え尽き症候群に悩まされた~
自分、自分だったところを人のためにと変化
塚越 モチベーションに関して周囲の人たちに感謝してこの人たちのために競技を続けようという感情が生まれて、そこからまた何か行動とか変わられましたか?
山田 私は結構人見知りというか、あまり人が好きではなく、それまではあまり話とかはしなかったんです。そこからは支えてくれた人たちに対して『ありがとう』とか、感謝の気持ちを直接伝えるなど、人に対して少しずつ思いやりを持てるようになったかなと思いますね。今までは、『自分、自分』だったんですけど、人のために何かをしたいと思った時に、その人を理解しないと何もできないですし、そこも切り変わったかなと思います。
塚越 選手として自分主体でストイックに取り組んできたところから、人との交流の中で、色々と変わっていったんですね。プレーへの影響面もありましたか?
山田 なんか、余裕が出た気がします。そのモヤモヤした2年間でもある程度の結果はずっと出ていましたが、より余裕を持って競技に取り組めるようになった気はします。視野が広がったことで、配球の読み幅も変わりましたね。多分、それまでは何にも視界に入れないようにしていたんだと思います。そこが広がった感じですかね。
塚越 視野が広がり、次にまた五輪復活を信じよう、という風に気持ちが変わっていったプロセスはどのような感じですか?
山田 五輪がなくても、世界選手権は2年に一度ずっと続いていたんです。おそらく2012年のロンドン五輪だと思うんですが、その世界選手権とオリンピックが重なった年があったんです。その時にオリンピック種目とそうではない種目ではこんなに注目度など含めて違うのかと、すごく残念で・・・。やっぱり、もう一度あの舞台に立ちたいと思いましたし、多くのソフトボール選手に立って欲しいと思いました。その辺からもう一度、ソフトボールを五輪競技に復活させたいという気持ちになりましたね。
東京五輪はめちゃくちゃ辛かった
塚越 その競技復活を信じたところから、また自分のプレーだったり周りに対する行動で変わったことはありますか?
山田 高二の時に五輪にいきたいと思い始めてから、2大会(アテネ、北京)出場する機会を経験させてもらいました。そこから、日本というよりも、ソフトボール界を背負っていかないといけないという風に、私の中では思っていました。それは同時にモチベーションにもなりました。当時はそれをプレッシャーだとは思っていませんでした。ただ、今回の東京五輪では相当なプレッシャーを感じましたが(笑)
塚越 私たちの想像を絶するプレッシャーだったんですね。
山田 いやあ、めちゃめちゃ辛かったです。こんなに辛いのかという感じでした。13年間空いてしまっていたので、その期間の色々な人の思いというのもあり、代表選手も変わっていたので。その13年間で、自分の置かれている立場も変わり、背負うものも、やたら増えまして・・・(笑)
(次回、山田選手がこれまで感じたことのなかったという東京五輪でのプレッシャーとどのように向き合ってきたのか、さらに掘り下げます)
[文/構成:ココカラネクスト編集部]
※健康、ダイエット、運動等の方法、メソッドに関しては、あくまでも取材対象者の個人的な意見、ノウハウで、必ず効果がある事を保証するものではありません。
塚越友子(つかこし・ともこ)
過去に自身で仕事中にうつ病を発症した経緯から、働く人のカウンセリングに注目。2008年に東京中央カウンセリングを開業。社会学修士号(社会心理学)教育学修士号(臨床心理学)。公認心理師・臨床心理士・産業カウンセラー。
山田恵里(やまだ・えり)
幼少期から野球を始め、高校入学と同時にソフトボールに転向。
高校卒業後、日立製作所に入社。日本リーグで本塁打王、打点王、ベストナインを獲得。
8連続安打のリーグ記録など卓越したバッティング技術から「女イチロー」の異名を持つ。2004年のアテネ五輪から代表入り、08年の北京五輪、今夏の東京五輪では共にキャプテンを務め、2大会連続金メダルに大きく貢献した。デンソー所属。