動きたいのに動けない休日・・・鉛のように重い憂鬱はトラウマが根本原因かも
[文:一悟術|自分を縛りつけているものから解放され、思い描いた人生を生きる道(https://www.ichigojyutsu.com/)]
前の日は「明日はあれして、これして…」と思うのに当日になるとなにもする気が起きなくてずっと横になってしまうことってありませんか?
「本当は動きたいんだけど動けない」
「外は晴れてるのに気分は寒い雨の日みたいで重い」
鉛みたいな重さが体の中にあるならそれはトラウマの重さかもしれません。
私も過去、この重さには悩んできました。
予定があるときは動けるのですが、その直前まで動けなかったり、誰かが誘ってくれないと外に出られなかったりしました。
だらだらネットサーフィンだけして時間が過ぎることも多かったです。そんな自分が嫌で「なんとかしなきゃ…」と力なく思うのですが、どうにもならずにいました。
孤独感や「もうどうにもならない」という絶望感のようなものも感じていました。それを紛らわすためにDVDを驚くほど見た時期もあり、会社員しながら週に10本は見ていました。見過ぎですよね。笑
でも、なんだかよくわからない憂鬱な重さはトラウマが原因だったのです。それに気が付いてからはトラウマを軽くすることで心も体も軽くなっていきました。ここでは心身の重さにつながるトラウマについてお話しします。
トラウマが心の重さになる
トラウマが心の重さや憂鬱な気分になる理由はトラウマが自己否定を生むからです。
自己否定は何をやっても「自分はだめだ」「人より劣っている」「もっとできないのはおかしい」という感覚です。
「もっと頑張らないと」「こうじゃなきゃいけない」「こうあるべき」という発想を生みやすいです。
「ダメだ、ダメだ」と毎日言われたら気が重くなるのは当然だと思いませんか?トラウマがあるとそれを毎日毎日、寝ている間も自分に言い続けていることになります。当然、心も体も重く、憂鬱になります。
実は、私は「自分はだめだ」と思っている自覚はありませんでした。
でも、小学生の時から「向上心が大切だ」と思っていて、何事も最善を尽くすのが普通のことでした。また「こういう人でいたい、こうあられば」という感覚が強く、あらねばならない自分でいるかどうかいつもチェックしているようなところがありました。
「これはいいのか悪いのか」と善悪で判断することも多かったです。
だから自分が感じることもナチュラルにとらえることができませんでした。「あらねばならない自分ならきっとこう感じるだろう」「だから私もこう感じるはずだ」と考えてしまったからです。
今振り返ると自分がダメだと思うからこそ、あるべき自分になろうとしたし、それは自己否定の賜物でした。「あらねばならない自分」であろうとすることで本来の自分とかけ離れたところにどんどん歩いて行きました。
そうすると本来の自分のことはよくわからなくなって自己否定は加速していきます。本来の自分を無視することになってしまうからです。
周りの人から無視されて辛いのと同じように、心の中で本来の自分が無視されて否定感に傷ついていくのです。こうやって自己否定はゆっくり確実に私の心を重く沈めていきました。
トラウマはいつできる?
自己否定の原因、トラウマは例えばこんなときに生まれます。
自分の服を選べなくて「本当は違うのがいいのに」と満たされない想いを感じたとき、行きたくもない習い事にいかなくちゃいけなくて「行かなきゃぁ」と抑圧が生じた時、周りの大人の些細な一言で傷ついた経験、いじめにあった時などです。
たとえをあげればきりがありませんが、満たされなかった想いや傷ついた経験が心の奥に沈んで傷になります。この傷が自己否定を生みます。
好きな服が着れなくて「本当は違うのがいいのに」という想いが「私は好きな服を着る価値なんでないんだ」「好きなものを手に入れる価値なんてないんだ」という自己否定を作ります。
行きたくない習い事に行って「自分の本当に欲しいものは手に入らない気がする」と無気力になったり、いじめにあって「みんなの仲間に入れてもらえない人間なんだ」という感覚になったりするのです。
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