聖地で何かが起きるチーム…星稜の甲子園伝説とは?
いよいよ夏の甲子園大会が幕を開けます。「令和の怪物」こと大船渡の最速163キロ右腕・佐々木朗希投手が決勝戦で出場することなく敗退し、世間からは「主役不足では」との声も聞かれますが、いやいや、そんなことはありません。最注目は星稜のMAX158キロ右腕・奥川恭伸投手です。
あるスカウトは言います。
「今年は佐々木君があまりに別格なだけで、本来なら高校生では奥川君、大学生では明治大の森下君がもっと注目を浴びてもおかしくありません。佐々木君のポテンシャルは無限大ですが、1軍のローテーションに入るまでには時間がかかるかもしれません。でも奥川君は楽天入りした田中将大投手のように、高卒1年目からローテで勝てる可能性があります」
その奥川を擁する石川の雄・星稜はこれまでも甲子園で数々の「伝説」を生み出してきました。101回大会の開幕を前にもう一度、クリーム色のユニホームが刻んできた軌跡に思いを致すとしましょう。
甲子園史上最高の名勝負・箕島戦(1979年夏)
3回戦で繰り広げられた箕島との延長18回に及ぶ死闘では、サヨナラ負けを喫しましたが、「北陸に星稜あり」を広く全国の人々に知らしめる結果となりました。
16時6分プレーボール。星稜は2―1で迎えた延長12回、2死から嶋田に同点弾を被弾し、追いつかれます。しかし16回表、ついに1点を勝ち越しました。そしてその裏、2アウトから箕島の森川は一邪飛を打ち上げました。誰もがゲームセット-と思いましたが、星稜の一塁手・加藤が人工芝に足を取られてまさかの転倒。直後に森川は奇跡の同点本塁打を放つのです。
そして引き分け再試合が目前となった18回、星稜はサヨナラ負け。勢いづいた箕島は春夏連覇を達成しました。3時間50分の熱闘には未成熟ゆえの高校野球の面白さが詰め込まれています。高校野球マニアだった作詞家の阿久悠さんが「最高の試合」と評したことはあまりに有名です。