「美しすぎる闘病者」と呼ばれた女性。心折れずにいられた理由とは
2014年、当時49歳だった濱田美智代さんは、ここ最近の体調不良について検査を依頼していたクリニックで告げられた、検査結果に思わず耳を疑った。2か月前に健康診断をしたばかりだったにもかかわらず、「卵巣がん」はステージ4まで進行。それから1か月後、12時間に及ぶ手術の果てに卵巣と子宮を全摘出することになった。その後、はじまった抗がん剤治療により襲われる吐き気や痛み、人生の中で味わったことのない壮絶な苦痛の中で、体重は30キロ台まで落ち、まるでドラマのワンシーンのように、長い髪の毛が指と指の間に絡まって抜け落ちるのを目にするたびにゾッとした。当時はまだ学生だった子供たちに、こんな母親の姿を見せるのはあまりにも厳しい。そう考えると涙が止まらなかった。すでに高齢の両親や、自分を思ってくれる人たちに心配をかけたくない。考えた末、理容師である母親に、残った髪を全て剃り落してもらい、自分自身にスマホのカメラを向けた。あえて明るいリップと穏やかな笑顔で「大丈夫だよ!私、生きてるよ!」というメッセージを伝えたい―、ただそのために。
抗がん剤による脱毛後、周囲を心配させないために自撮りした笑顔の写真。眉毛も脱毛していた為、ポイントメイクはしているが、ファンデーションなどはつけていない。
「美しすぎる闘病者」と呼ばれるきっかけとなった1枚の写真が表すのは、その顔立ちのことだけではない。辛さの中で生き抜こうとする強さ、支えてくれる人を心配させまいとする優しさ。何より闘病中とは思えない肌の輝き。このまばゆいばかりの笑顔こそが、愛する人たちへ込めた濱田さんのメッセージであった。
実際はこの頃、卵巣を摘出したことによって、女性ホルモンが急激に低下。更年期の症状に悩まされ、通常であれば肌ツヤなどとても考えられない時期だった。しかし、空気の乾燥によってウイルス感染のリスクが高まることから、常に加湿機で部屋の湿度を保ち、さらに刺激に敏感になった肌を守るため、肌を乾かさないように保湿を繰り返していたことなど、乾燥に対する予防ケアを徹底していたことが功を奏して、意図せずこの美しい肌ツヤが生み出されたのだと言う。
そこから1年半後のこと。地獄のような抗がん剤治療もむなしく、リンパ節へがんが転移。その告知を受けて憔悴しきった濱田さんの病室にお見舞いに訪れたのは、かけがえのない友人として最も信頼している男性だった。彼は病室に入るなり開口一番、耳を疑うような言葉を濱田さんに伝えた。「結婚しよう」。男性とはこれまで友人以上のおつきあいをしていたわけでもない上に、何より彼は初婚である。卵巣や子宮を切除してしまった今、子供も授かれないどころか、いつ死ぬかもわからない人間に本気でそんなことを言うわけがない。即座にその申し出を断った濱田さんだったが、男性の決意は固く「僕が絶対に死なせないから」という言葉と共に、時が過ぎても何度もプロポーズを繰り返した。