「美しすぎる闘病者」と呼ばれた女性。心折れずにいられた理由とは

タグ: , 2022/4/20


 その後、抗がん剤にアレルギー反応が出てしまい、治療すら続けられなくなったことから、遂には余命宣告をされた。しかし、諦めかけていた濱田さんの背中を押し、道を探し続けてくれたのは、プロポーズをしてくれた男性だった。懸命な助けによって取り組んだサードオピニオンによる免疫療法が事態を好転。「絶対に死なせない」という言葉どおり、遂に10回目のワクチン投与で、がん細胞が全て消えたのだ。しかし、少しずつ気力を取り戻していく中、男性の母親がアルツハイマーを発症。そのことを知った濱田さんは、こんな自分にも彼の心の支えぐらいにはなれるのではないかと、はじめてのプロポーズから1年後、結婚を決意。

 男性は、余命が読めない濱田さんの免疫力が少しでも上がればと、結婚式を挙げることを提案してくれた。招待状を送る前日に44度の高熱に襲われ、挙式を諦めるかを悩んだ日もあったが、無事に結婚式当日を迎えることができた。そこでは、シングルマザーとして育ててきた大切な子供たちや両親、そして「命の恩人」とも呼べるような、これまで支えてきてくれた、たくさんの人を招待しての人前式が盛大に行われた。
写真に残る幸せそうな笑顔の裏では、医療用麻薬と言われる強い痛み止めで激痛をごまかし、実際は噴き出す汗に立っているのがやっとの状態だったという

幸せの絶頂に見えるウェディングドレスの濱田さん。実は立っているのもやっとの状態だった。

シングルマザーとして育てあげた息子さん娘さんと、手をつないで歩いたバージンロード

 そして今、がんを宣告されたあの日から8年。生存率40%と言われてきた5年を越え、愛するご主人と共に仲睦まじく、穏やかな日々を過ごしている。57歳の今、2人の子供たちもそれぞれ子宝に恵まれ、2人の孫を抱くことも叶った濱田さん。今でも足のしびれや痛みなど、抗がん剤治療の後遺症を強い鎮痛剤でごまかしながらも「笑顔を忘れたら命を持っていかれる気がするから」と、死ぬまでにしたいことを全てすると心に決め、親友や家族と共に行きたかった場所に出掛けては、そのはじけるような笑顔と共に、愛おしい瞬間を写真に収めている。

大好きなひまわりに囲まれて。

親友と京都旅行。舞妓さんに変身させてもらった。

 「髪も子宮も卵巣も失って、絶望の淵にいたあの頃の私が、それでも女性らしく、心折れずにいられたのは、この肌のおかげ」と目を潤ませる濱田さん。

 今も尚、一つ屋根の下で暮らす両親や娘や孫と共に、100年続く理容室を切り盛りし、働ける喜びを、全身で感じながら充実した日々を送っている。

抗がん剤治療の前に、「二度とハサミを持てなくなることを覚悟して」と医師から言われたことが、一番つらかったと言う。奇跡的に手にはしびれなどの後遺症が残らなかった。

千葉県柏市にある、創業100年の「ハマダ理容室」。両親と娘と、親子3代で切り盛りし、地元の人気店として知られる。

※闘病中の写真は、「誰かの役にたてるなら」という濱田さんの意思で、掲載許可を頂きました。心より感謝申し上げます。





※健康、ダイエット、運動等の方法、メソッドに関しては、あくまでも取材対象者の個人的な意見、ノウハウで、必ず効果がある事を保証するものではありません。

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