「1人だったら多分潰れていたんじゃないかな」ソフト・山田恵里が明かした苦難とチームメイトの存在
2008年北京五輪以来13年ぶりとなる競技復帰で2大会連続の金メダルを獲得したソフトボール日本代表。
前回大会に引き続きチームのキャプテンを務めた山田恵里は、両大会で違った意味を持つ「キャプテン」そして「金メダル」の重みを感じていた。
そしてこの「空白の13年」という期間、山田は自身がソフトボールを続けるモチベーションの維持に、こう苦しんでいたという。
「北京五輪が終わってから2年間くらいは、1番上の目標を達成してしまったということと、次の五輪での除外が決まっていたというところで、次の目標がないという状況でした。その中で、『なんのためにソフトボールをやっているかわからない』といった時期がありましたね」
北京五輪で悲願の金メダルを獲得。と同時に、次回大会以降五輪競技からの除外が決定していたことから、自身の目標を失い、不安を感じた時期が続いた。
そんな山田が競技を続けられたモチベーションとなったのは、一体何だったのだろうか。
「自分のやりたいやりたくないではなくて、支えてくれている人たちに恩返しができていないなと思ったんです。ソフトボールしか自分には出来ることがないので、ソフトボールを通じてもっと感謝の気持ちを伝えたいという思いで、今までやってくることができました」
支えてくれた人への恩返し。これまで様々な支えがあった中で、特に感謝を伝えたい人として、
「やはり、両親がいて今の自分がいるので、親にはしっかりと感謝したいなと思っています」
と語った山田。
今大会中には、父親の命日も重なった。命日翌日のカナダ戦では、チームを決勝進出へ導くサヨナラ安打を放った。父への感謝の思いも乗せてのプレーだった。
「五輪期間中に父の命日があったというのも、何かの巡り合わせだと思います。生前1番親孝行ができていなかったので、親孝行の場所を用意してもらったような気持ちで、なんとか結果を出したいと思っていました」