フェンシング名選手列伝「稀代の一発屋」武田仁
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オリンピック種目であり、誰もが知る超メジャースポーツ・フェンシング。
そのフェンシングの名選手を紹介するこのシリーズ、栄えある第一回はやはり!日本フェンシング界を長年支えて大活躍し、オリンピックでメダルも取って日本中にフェンシングフィーバーを巻き起こし、後に日本フェンシング協会会長にまでなった太田雄貴・・・ではなく、武田仁を紹介したい。
フェンシングの種目
フェンシングはフルーレ、エペ、サーブルと3種目に分かれるのは今や幼稚園児でも知っているほど有名な事実だが、日本においては長年「フルーレにあらずばフェンシングにあらず」という後進国らしい差別が顕著であった。
それは例えば新入部員が最初にやるのは必ずフルーレであったり、インターハイで団体戦が行われるのはフルーレだけだったり、大抵の大会において出場できるのが「フルーレと何か」という刺身のツマのような扱いであり、エペとサーブルに同時に出場するのが認められていないことも多いことが示していた。
最たる例が、エペとサーブルをひとまとめにして「種目勢」と称する雑な呼称で、「あー種目はあっちで練習ねー」とか言われて隅っこに追いやられる、まさしく差別以外の何物でもない扱いなのであった。
そんなエペやサーブルは「フルーレやってみたけど勝てないからそっちをやる」などという劣悪な扱いを受けることさえあり、まるでバンド内でギタリスト同士の熾烈な争いに敗れてベースに転向するかのごとく、「負け犬」かのような扱いさえ、根強くあったものだった。
今でこそエペやサーブルの日本における権威は飛躍的に向上し、特にエペは世界ではむしろ主流でフェンシングの基礎のような部分もある為、最も注目の種目と言っていい。
今回紹介する武田仁は、そんなエペの選手である。