フェンシング名選手列伝「稀代の一発屋」武田仁

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武田仁がフェンシングを始めたきっかけ

武田仁は見た目からは到底想像できないかもしれないが、生粋のおぼっちゃんである。
名門・慶應義塾に幼稚舎(小学校)から通う、まさしく生粋の慶應ボーイなのである。
慶應ボーイというより慶應ゴリラだろ、というツッコミが聞こえてきそうだが、実は武田仁はよくよく見ると慶應ボーイらしき上品さも備えた、優しいゴリラなのである。

さてそんな武田仁がフェンシングを始めるのはまさにその幼稚舎においてなのであるが、「ぼくも騎士(ナイト)になってお姫様を守る!」というかわいらしくも頼もしい意識に目覚めたから・・・ではなく、慶應フェンシング界に君臨するグランマ・小林さと子女史に見出されたから、という消極的な理由である。

その内容も、体育館で「君いいね、フェンシングやってみない?」と声をかけるという、後の全日本チャンピオンを見出すにはやや、雑なものであった。

だがしかし、小林女史の先見の明が無ければ、この偉大なチャンピオンも生まれなかったのである。

低迷する慶應フェンシング部で

武田仁の通う慶應義塾は、小学校から大学まで一貫教育の私立であり、その各学校にフェンシング部がある。
そう考えるととても充実していそうなものだが、部員不足に悩まされ長らく低迷しており、とある年代など部員がみな落第して消えるという、実にひどい低空飛行が続いていた。

そんな慶應義塾で武田仁は内部生として幼稚舎、普通部(中学校)、高校と進学していきフェンシング部に所属するが、低迷する部の中にあっては、急に大きく成長できるものでもなかった。

武田仁の4歳上にはかの有名なファッションモデル・・・じゃなくてオリンピックメダリストの三宅諒がおり、慶應義塾高校の頃からインターハイで活躍していた事もあり、部員は飛躍的に増え始めていた。

だが武田仁の世代がまさに影響を受けて増え始めた世代であり、まだまだ部内の環境が飛躍的に向上したとは言い難い頃であった。

コーチの言うことを聞かない武田仁

慶應フェンシング部はそのOBOGがコーチを務めるが、長年の低空飛行のせいもあり世代はかなり上であり、教えるフェンシングはややもすると古い形のものが多かった。

しかし武田仁は生来の好奇心の強さもあり、そんなコーチの教える教えに留まらない。

フェンシングには「振り込み」という、剣をしならせて突く突き方があるが、旧態依然としたコーチはこれを禁止する、ないしあまり勧めない事が多い。

だが武田仁はそんな事を聞くようなタイプではない。喜々として振り込みに励んだりし、しまいにはコーチが「武田はもう放っておくしかない、あいつにはあいつのやり方がある」となるほどだった。

だが武田仁はふざけているようでいて、極めて研究熱心で努力家でもある。
様々な映像を見たり練習に参加したりし、自分なりに色々考え、トレーニングにも励む。
そんな(意外に)知的で努力家な一面が、高校の頃になると実力として大きく蓄えられていった。

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