「シンカーは内野手から教わりました」山本昌氏の人生を変えたアメリカ留学の話、あの恩師との出会いから勝負球習得の方法とは 橋上秀樹氏×山本昌氏対談
さらに山本氏は、恩師ともいえるアイク氏に言われた事を振り返った。
「アイクさんに言われたのは、とにかく上からボールを投げなさいという事と、ボールを前で放しなさいという事、低めに投げなさいという事。この3つだった。これは分かっているようで、みんなできていない。だから、分かってる事と出来てることは違うっていうのをその時に思った」
と、ターニングポイントとなった教えについて明かした。そこからの同氏の成長は凄まじく、敗戦処理から、ローテーションに入り、最後は1Aのオールスターに選ばれるまでになったというのだ。その活躍を現地のチームも見逃さなかったようで、
「実は、エキスポズとホワイトソックスからはオファーがあったんですよ。星野監督はシングルAで活躍したって大したことないと思って、引き止めなかったんですよ。でもそこで、(中日が)優勝争いもしていたし、社長が呼び戻したんですよ」
と、メジャーリーグ挑戦の可能性もあったという驚きの事実もあったことを明かした。もしメジャーリーグに行っていれば…。そんな思いもあるのではないかと考えてしまうが、このことについて同氏は、
「でもメジャー行かなくてよかったですよ。もし行ってたら、活躍できなくてその後のイチロー君とか、松井君とかの活躍が無くなってたかもしれない」
と、謙遜しながら未練はないと笑顔だった。
その後の活躍は誰もが知る通り、3度の最多勝に輝き沢村賞まで獲得。2006年には史上最年長となる41歳でのノーヒットノーランも達成し、話題を呼んだ。日本球界に彼がいてくれたからこそ、これだけの記録を残し、ファンの心を動かし続けた事を考えると嬉しい偶然の重なりだった。
動画内では他にも、山本氏の嫌いなバッターや、制球力を向上させた練習方法についても語っている。
[文/構成:ココカラネクスト編集部]
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