「シンカーは内野手から教わりました」山本昌氏の人生を変えたアメリカ留学の話、あの恩師との出会いから勝負球習得の方法とは 橋上秀樹氏×山本昌氏対談

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 野茂英雄やイチロー、大谷翔平らの活躍によって日本でも身近になってきたメジャーリーグ。そんなアメリカに早くから渡っていた野球選手がいた。それが山本昌氏だ。現役を引退するまでの29年間数々の記録を樹立、先に野球殿堂入りも果たした鉄人はアメリカ留学で何を得たのか。

そんな山本氏の留学話について、現役時代、ヤクルトなどで活躍し、引退後は楽天、巨人、西武、ヤクルトさらには侍ジャパンでコーチを務めた現・BCリーグ新潟アルビレックス・ベースボール・クラブ監督の橋上秀樹氏のYouTubeチャンネル「橋上秀樹アナライズTV」で語り合った。

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「毎年クビ寸前だったんだから」

そう語るほど、1983年ドラフト5位で中日に入団当初は思うように結果が出ない日々が続いていたという山本氏。当時は給料も下から数えたほうが早く、続々入ってくる新入団のドラフト1位の選手の方が多くもらっていたほど。思い悩む日々が続いたが、入団5年目のアメリカ留学が自身の転機になったという。当時球団はドジャースと業務提携を行っておりその縁で1988年2月に野球交換留学として渡米、そのままドジャースのマイナーリーグにとどまることになった。

「あれが大きかったね。僕って、人に恵まれてるているというか、ついていく人を間違えなかったかな。アイク生原さんに助けてもらったんだけど」

アイク生原氏とは、野球界では日米野球界交流の中心的人物として知られる。ドジャースのオマリー会長と親交の深い鈴木惣太郎氏の紹介により単身渡米。ドジャース傘下の球団で用具係からキャリアをスタートさせ、後にドジャースのオーナーに就任したピーター・オマリー氏との親交を深めた。昭和57年から同オーナーの補佐兼国際担当として活躍。巨人・中日のベロビーチキャンプの実現などプロアマ問わず、幅広い日米野球交流の中心的役割を果たし、野球殿堂入りも果たしている。そんなアイク氏に野球留学した際には、山本氏は大変お世話になったという。





「アイクさんの言いつけを守りながらやって、アイクさんに『お前は新しいものをやらなきゃだめだ』と言われて、色々試したけど出来なかった。ちょうどその時、チェンジアップがアメリカで流行り出していて、それも試しても出来なかった」

「その野球留学中にあちらの内野手がキャッチボール中にシンカーを投げていたんですよ。それで、その内野手に教えてもらった。それが今の僕のスクリューですよ。それを覚えなかったら、その年日本に帰ってクビになってたと思う。」

その事実には橋上氏も、「内野手に教えてもらったの?」と驚きを隠せない様子だった。

まるで漫画のような展開で、シンカーという武器を手に入れた事が山本氏の野球人生を大きく変えたという。

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