元巨人・斎藤雅樹さん「当時、MLBからオファーがあったら?」の問いに・・・?伝説の決戦「10.8」登板の真実とは?
ジャイアンツのエースとして、在籍19年で6度のリーグ制覇・3度の日本一に大きく貢献した「平成の大エース」・斎藤雅樹さん。
個人タイトルでは、最多勝利を5回(日本記録)、最優秀防御率を3回、最多奪三振を1回、最高勝率を3回獲得。そして、MVPを1回、沢村賞を3回(日本記録)、最優秀投手を5回、ゴールデングラブを4回など、数え切れないほどの表彰も受けた。その上、11試合連続完投勝利や3年連続開幕戦完封などの日本記録も樹立した、記録にも記憶にも残る平成を代表する投手だ。
そんな偉大なピッチャーでありながら、誰に対してもとても物腰柔らかく、笑顔で対応してくれる斎藤さん。温厚すぎる、謙虚すぎるとも取れるその性格ゆえに、入団当初は「気が弱い」「ノミの心臓」と揶揄されることもあった。「優しすぎる投手」から「平成の大エース」へ、その進化の過程を聞いた。
今回は恩師・藤田監督の言葉と、今なお語り継がれる死闘「10.8決戦」、そして引退まで。
悪いことを考えないようになって成績が上向いた
−−ドラフト1位で入団したものの、6年目までは一軍と二軍を行ったり来たり。そこから7年目、1989年に藤田監督に変わってから11試合連続完投勝利。そのきっかけ、覚醒した理由はなぜでしょうか?
斎藤:先発を任せられるようになって、勝ち続けることで自信になりました。以前の自分だったら「打たれたらどうしよう」とか、そんなことを思っていたと思うんですよね。でも、勝ち続けることで「打たれるわけない」と、自分に暗示をかけながら投げていることができるようになりました。そういう自信というというのが、一番のきっかけだと思います。
−−当時、藤田監督が斎藤さんに対して「お前は気が弱いんじゃない、気が優しいんだ」と言われたことがあるそうですが?
斎藤:それがきっかけでもあります。「投手というのは臆病でないといけない。いろいろ考えたら臆病になる。怖いというのはお前がいろいろ考えている証拠だ」「慎重になっている時がダメなんだ。大胆にいくところはいかないとダメなんだよ」というようなことを言っていただきましたね。
−−勝ち続けたことで自信が大きくなったとおっしゃっていましたが、そもそも勝ち続ける前というのは藤田監督からかけられた言葉の影響が大きいのですか?
斎藤:そうですね。やっぱり、悪いことを考えていたと思うんですよ、やられる時って。特に若い時なんかは「これ打たれたら二軍に行かされちゃう」とか。だから余計ビクビクしながら投げてしまうことで、ボールが先行する、カウントが悪くなる。それで結局ストライクを投げにいったら打たれるという悪循環があったといます。まず、そういうのを考えなくなったということが成績を残すようになったきっかけでしょうね。
−−必要以上の心配をしなくなったということでしょうか?
斎藤:そういうことです。逆に、マウンド上では「俺が普通に投げれば打たれないんだ!」と強気に思っていました。そして、「こういう考え方で投げれば勝てる!」と思えるようになりました。でも、「普通に投げれば勝てる」と思えるようになるには、やはり結果が伴わないといけないので、かなり時間がかかりますけどね。
−−確かに、野球に限らずどのような仕事でも、成功体験は大事なのかなと思います。
斎藤:とても大事だと思いますね。自分たちもコーチになった時は選手に「自信を持っていけ」と言いますけど、でも失敗ばかりしていると自信もなくなるよな、と思います。やっぱり成功して「こうやったら成功するんだ」っというのがないと、なかなか厳しいですよね。
−−「普通にやれば勝てる」と思えるところまでには、どういった経験や考えが必要でしょうか?
斎藤:必要以上に心配しないということですかね。でも、選手として出たばかりの時はやはり心配しますよ。打ち込まれたらすぐに二軍ですからね。