巨人退団後に大化けした選手たち

タグ: , 2021/12/19


◆吉田修司
(1988年巨人ドラフト1位)

ホークスで貴重なリリーフ左腕へと成長した。巨人には社会人(北海道拓殖銀行)ドラ1として即戦力を期待されたが、6年で5勝と結果を残せなかった。1994年シーズン途中、ダイエー岸川勝也との交換トレードで巨人を退団。移籍直後こそ苦しんだが、1997年に中継ぎ投手として1軍に定着し、6年連続50試合登板とタフネスぶりを発揮した。

◆庄司智久
(1971年巨人ドラフト3位)

イースタン史上初の三冠王に輝きながら、1軍では代走や守備固めが続き、もがいていた。1979年オフ、巨人小俣進、田村勲とともに、ロッテ古賀正明、小川清一と3対2の交換トレードが転機となる。ロッテ移籍1年目に外野レギュラーを獲得し、1980年から2年連続前期優勝に貢献。1981年には初の規定打席(打率.293)に到達し、オールスターゲームにも出場した。

◆山内新一
(1967年巨人ドラフト2位)

「野村再生工場」の第一人者といえるかもしれない。巨人入団5年目の1972年オフ、松原明夫(のちに福士敬章)とともに、南海富田勝(プラス金銭)と2対1の交換トレードで移籍。南海では移籍1年目にいきなり20勝を挙げ、捕手兼任だった野村克也監督のリードに導かれて大ブレーク。巨人で15勝だった右腕は、退団後に129勝と勝ち星を量産した。同時に移籍した松原も巨人では未勝利だったが、退団後に91勝を挙げる活躍を見せた。





※健康、ダイエット、運動等の方法、メソッドに関しては、あくまでも取材対象者の個人的な意見、ノウハウで、必ず効果がある事を保証するものではありません。

[文/構成:ココカラネクスト編集部]

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