白血病から2年・・・延期されなければつかめなかった池江の東京五輪切符
「第2の水泳人生」と位置づけた今は違う。競技を始めたころの純粋に勝負を楽しむ姿がある。負けず嫌いな性格が、驚異的な回復へとつながっていく。「勝ちたいと思って練習したら、どんどん免疫力が上がっていった」。昨年8月の復帰戦から、泳ぐたびにタイムを縮めた。病気になる前の記録には及ばなくても、レース復帰後の記録を「今の自己ベスト」として追い求めた。
体重を戻すため「食トレ」にも取り組み、3食以外にラーメンをつめ込んだこともあった。やせ細った体はレース復帰から8カ月でアスリートらしい体つきになり、東京五輪の代表選考会までたどり着いた。全体3位だった準決勝から0秒71もタイムを縮め、メドレーリレーの派遣標準記録を突破。他の種目と比べて消耗が激しく、体への負担が大きいバタフライは「勝つまでに一番時間がかかると思っていた」だけに、本人も想定外の3年ぶり日本一奪還だった。
奇跡のカムバック。レース後、代表を争ったライバルたちが、悔しさを脇に置いて次々と池江を祝福する姿も印象的だった。国際オリンピック委員会のバッハ会長からメッセージが届き「五輪選手は決して諦めません。白血病と診断されてからわずか2年で東京五輪に出場する、がんサバイバーの池江璃花子さん、おめでとうございます。東京でお会いできるのが待ちきれません」と祝福のコメントを発表した。
海外メディアも驚きのニュースとして伝え、SNSには「感動した」「もらい泣きした」というメッセージがあふれた。コロナ禍での東京五輪開催に反対し、聖火ランナーを辞退する著名人も出ているなか、人の心を動かすスポーツの力を見せつけるかのようだった。1年延期されなければ、手にできるはずがなかった東京五輪切符。命がけで努力した池江に、神様がくれたご褒美のようでもあった。
「大切なのは、いろんな物事に対してネガティブにとらえないこと。これこそが自分の人生ってとらえるようになったら、すべて楽しいなって思えるようになりました」と池江。どれだけの人に勇気を与え、励ましたことだろう。池江が報われる東京五輪であってほしい。
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