日本初のプロラクロス選手 10年以上トップを走り続けるための、メンタルコントロール
夢の実現には、目標を細分化して考え行動する
山田幸代さんは、31歳となった2014年に、母校である京都産業大学の大学院 マネジメント研究科へ入学している。
「ラクロスを始めた頃から、『子どもたちの夢の選択肢にラクロスを!』という目標があります。大変なこともありますが、この夢があることがラッキーで、この目標を実現するために、何が必要かを学ぶため、もう一度、大学院に入りました。
想いや経験に加えて、短期・中期・長期の目標を細分化して、しっかり考える癖をつけられるようになったので、目標の実現がイメージしやすくなりました。」
山田プロ、ハローワークから電話です
プロ宣言後、常に進み続ける山田幸代さんだが、さまざまな苦悩や迷いもあった。
「プロになるか迷っていた時は、父親に電話したんです。『迷っている』と。普段は、あまりしゃべらない父が、『お前の中では決まっていて、背中を押してほしいってことやろ?ダメだったら帰ってくれば良い、お前ひとりぐらい世話するお金はある』って。
プロ生活3年半ぐらい経った時、スポンサーから契約の継続が難しいと言われました。1社しか契約をしていなかったこともあって、この時は、『もう終わり』と思いましたね。お金がなかったので、実家に戻って、仕事を見つけるためにハローワークに通っていたんです。
そしたら、家に電話がかかって来て、たまたま父親が出たんですが、『山田プロ、ハローワークから電話』って。その言葉にハッとして、私のやりたいことは、こんなことじゃないって。
何か決断をする時、迷いがあった時に、父親がさりげなくフォローしてくれたことに、感謝していますし、応援してくれたり、支えてくれる人が身近にいることは、本当にありがたいことです。」
常に前向きに着実に進み続けるプロラクロス選手 山田幸代さん。次回は、海外での経験や学びについてご紹介します。
※健康、ダイエット、運動等の方法、メソッドに関しては、あくまでも取材対象者の個人的な意見、ノウハウで、必ず効果がある事を保証するものではありません。
[文/構成:ココカラネクスト編集部]