【DeNA】守護神への想いと、亡き母との約束…プロ11年目の山﨑康晃が抱く“葛藤”「人間なので、いろいろな気持ちはありますよ」
守護神の座から遠のいてもなお、腐らずにマウンドで役目を全うする山﨑。(C)産経新聞社
ホールドもつかないマウンドで黙々と
「人間なので、いろいろな気持ちはありますよ。でもいまはグッと歯を食いしばって頑張る時期なのかと。僕には必要な時期なのかなって思っています」
11年目のシーズンを迎えた山﨑康晃は宙を見つめ、そう言葉を紡いだ。
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今シーズンは、オープン戦から森原康平、さらに助っ人右腕のローワン・ウィックも故障で不在というチーム事情から守護神の席は空いている状況でスタートした。当然ながら“小さな大魔神”としてセーブを積み重ねてきた山﨑が、空座に着くと思われた。しかし、三浦大輔監督が開幕前に新守護神に指名したのは、肩の手術から復帰したばかりの入江大生だった。
山﨑は自身3戦目の登板でセーブを挙げたものの、4月5日の広島戦で敗戦投手となると事態は暗転。いつしか出番は、ビハインドや大差の場面に限られ、10日以上も登板間隔が空く日すらある。
セーブはおろかホールドもつかないケースでのマウンドだってある。それでも自身に与えられた役目を黙々とこなし続ける山﨑は、現況を「チームが選択していること」としっかり受け止める。
決して腐らず、ひたすらに腕を振る。そこにはチームファーストで臨んできた男の“矜持”が覗く。
「僕はいままでの野球人生の中で反旗を翻したことはないです。僕がそこで気持ちを出してしまうと、いまのブルペンのバランス、ピッチングスタッフのバランスが一気に崩れてしまいますからね」
無論、簡単な役割ではない。日本代表にも選出された経験もある山﨑ならなおさらだ。それでもブレない境地に至った礎となったのは、横浜のブルペンで深めてきた絆を引き継いできたプライドがあるからだ。
山﨑が回想するのはルーキーイヤーとなった2015年の記憶だ。当時のブルペンを引っ張っていた先輩に思いを馳せる
「あの当時は三上(朋也)さんがクローザーを務められていたのですが、怪我をして離脱してしまったんです。それで帰ってきてからクローザーをやっていた僕を、三上さんは快く迎え入れてくれました。わからないことなどを聞きやすい体制も整えてくださいましたし、ご飯に連れて行って頂いてお話をしていただきました。きっといろんな気持ちがある中でも背中を押して頂いたことは、僕にとって大きな財産ですね」






