「グレイシー一族に恨まれ続けた」元PRIDE戦士のコロナ禍で前進するためのポジティブ対談 『自分のやるべきことを100%やりきることがチームワーク』

タグ: , , 2021/2/15

人に求められる場所を選択する

大山 その中学、高校での部活はラグビーではなく、野球をやっていたんですよね。

大野 はい。その前の小学校からずっとです。

大山 それで大学でラグビーに転向するわけですが、なぜ野球ではなくラグビーだったのしょうか?

大野 大学でも野球をやろうと思っていたのですが、ラグビー部の先輩が体の大きな自分を熱心に誘ってくれるので1回ぐらい見学に行かないといけないと思って練習を見にいったら、部の雰囲気がすごく良かったんです。
先輩後輩の上下関係がないというか、フランクな雰囲気も良かったですし、自分と同じ工学部の先輩が、実習や研究で遅くなってもグラウンドわきですぐにジャージに着替えてバシバシタックルに行く姿が単純にかっこいいなと思いました。

大山 へー、そうなんですね。これは元オリンピック選手の為末大さんが仰っていたことなんですが、「日本のスポーツ界には選択の自由がない」というんですね。「野球をやっていれば野球一筋。ダメだったら終わり。みたいに一つのことをやり続けることが美化され続けて、ほかの才能をつぶしてしまう」と。
大野さんは野球をずっとやり続けて、でもラグビーという選択肢を選んだ。僕はもっと、大野さんのように一生懸命にやったあとに違う選択をするという考えが、日本に広がってほしいな、なんて思うのですが、そのあたりはいかがでしょうか?

大野 その点で言うと、自分が野球からラグビーに転向したのは、ラグビー部の先輩方に必要とされたというのが一番大きかったと思います。
また、その後社会人でラグビーを続けたのもそのようなところがあります。大学時代は部員数が17人の弱小ラグビー部でやっていた自分が、社会人のトップチームである東芝に誘ってもらえるなんて光栄でした。しかし、自分が社会人のトップレベルで通用するなんて思ってもいなかったので、お話をいただい当初は正直断ろうかと思っていたんです。
その時に背中をしてくれたのが、福島県のラグビー協会の人や、大学のみんなが「東芝に行ってほしい」と言ってくれたことだったんです。
そう考えると、大学でも社会人でも周りに必要とされる(求められる)ことが自分の背中を押してくれたのだと思います。

大山 なるほど、必要としてくれている人がいて、それに答えるという姿勢なんですね。

大野 ラグビーも大学から始めて、素人は自分だけだったのですが、それでもやっぱりチームの役に立ちたくて自分のやれることをひたすらにやりました。
その延長線上に強豪チームの東芝に誘われたというのがあるので、大山さんの本にもあるように、プロセスにまずフォーカスするというのが自分のやってきた道なのかなと思います。

大山 大野さんはその繰り返しですよね。ただただ、ひたすらに。アスリートには2種類の人がいる。まずは、オリンピックに行きたい、チャンピオンになりたいという目標を完全に描いて、そこに対して突き進む人。僕はどちらかというとこのタイプなんですが、大野さんはとにかくプロセスなんですよね。今できること、やれることにフォーカスしていった結果、未来が開けていったというね。

大野 そうかもしれないですね。大学時代も、シーズンオフでも練習が終わってもグラウンドに出て走ったり、ウエイトをしたりと年間を通してやっていました。もちろん東芝に入ってからも、自分はレベルが一番低いというのは自他ともに認めるところであったので、その差を縮めるには人より多く汗をかくしかないと思っていました。
東芝に入った当初は不安しかなかったですし、それを払しょくするには少しでも多く体を動かすしかないといった感じでしょうか。

大山 プロセスに注目してやるべきことに集中することが不安を払しょくしてくれるものでもあったんですね。ただ、それが代表にまでつながるんですから、やっぱり大野さんはすごいなー。

大野 大学時代に入ったころはまさか代表に呼ばれるなんて思いもよらなかったですね。本当に……。

(c)Photo by Yuka Shiga





いつか終わるのなら、その時間を無駄にしない

大山 代表といえば、2015年の南アフリカに歴史的な勝利を収めたあのW杯に向けての練習が半端なくきつかったということですよね。

大野 そうですね。自分は南アフリカを倒した2015年W杯の前に2回W杯に出場しているんですが、2012年から代表監督になったエディ(ジョーンズ)さんの練習は過酷でしたね。

大山 きついではなく過酷なんですね。例えばそれまでの代表の練習が1とすると、エディジャパンの練習は何倍ぐらいなのでしょうか?

大野 そうすね3倍から4倍を毎日ですかね。拘束時間も長かったですし、筋トレなども、普通は筋トレをやったら2日ぐらい休めることが必要といわれていますが、エディジャパンの時は1日に2回やる。それでも筋肉が大きくなっていったので、きちんと考えられていたメニューだとは思いますが、しかし過酷でしたね。

大山 その過酷な練習をどうやって乗り切ったのですか?

大野 自分はエディジャパンの時はベテランのほうだったので、きついことをやりながらもどこかで「いつかは終わるだろう」という気持ちは持っていました。ただ、自分の場合は、「いつかは終わるのであれば、この時間を無駄にしないようにしよう」と思って練習に臨んでいたところがあります。

大山 きつかったら早く終わってほしいと思うのが大半の人だと思うのですが、それを終わるからこそ無駄にしないようにしようと思うのは素晴らしいとらえ方ですね。

大野 ありがとうございます。ただ、エディさんが2012年にヘッドコーチに就任してメンバー選考についてメディアに聞かれたとき「大野は今の代表には必要ですけど2015年にはいないでしょう」とコメントしたんですね。
その時自分も30歳を過ぎていたので、「仕方がないな」「いつか外されるんだろうな」と思ったのですが、それでも、「外されるんだったら1日でもその日を遅らせてやろう」「そしてエディさんの思惑を少しでも変えてやろう」というマインドになったんです。それも大きかったと思います。

大山 いやー、大野さんの話を聞いているとその状況をどうとらえるか? 本当に心の選択だなと思わされますね。僕が大野さんだったら、エディさんのコメントを聞いて、ただただ落ち込むだけだったと思うんですよね。それにしても、過酷な練習に実際に心が折れそうになった選手とかもいたんじゃないでしょうか?

大野 そうかもしれないですね。でも、自分の場合はそれまで2回W杯を経験してきて、その2回とも自分たちの中ではしっかりと準備をして臨んだつもりでしたが、1勝もできなかった。
あれだけやっても勝てなかったのならそれ以上のことをやるしかないと思っていました。そこにエディさんがヘッドコーチとして就任して、今までやってきたこと以上の練習を自分たちに課してきたので、自分は「これをやり切ったら何かあるんじゃないか?」「これを乗り越えなければ日本は世界で勝てない」とシンプルに思えました。

大山 そうなんですね。そうして迎えた南アフリカ戦はどんなメンタルだったんでしょうか? 

大野 あの試合は自分もスターティングメンバーに入っていて、1週間前とかは、これだけ過酷で、世界一といわれる練習をしてきて、それでも南アフリカに70点、80点取られて負けたら、日本ラグビーはもう世界で勝てる日が来ないんじゃないかとか、そんなみっともない試合をしたら誰も日本の試合を見てくれないんじゃないかとか、そういった漠然とした不安を感じていました。
しかし、試合当日になるとどこか吹っ切れた気持ちになったというか、試合会場について、ウォーミングアップをして、ジャージに着替えてグラウンドに立った時には、「これで負けたらしょうがない」というメンタルに変わり、試合に集中できたというのを覚えていますね。

大山 実際に南アフリカの選手たちと対峙してみてどうでしたか?

大野 確かに強いし、早かったですが、自分たちの想像を上回るものではなくて、「南アフリカだったらこれぐらいはやってくるだろうな」というものでした。なので、後は今までやってきたことをこの試合で出し切るだけ。グラウンドに立っている15人全員がそんなメンタルだったと思いますね。

「モチベーション」新着記事

『CoCoKARAnext』編集スタッフ・ライターを募集

CoCoKARA next オンラインショッピング

PICK UP 【期間限定販売】浅倉カンナ ラストファイトメモリアル 拳トロフィー

浅倉カンナの左拳を本人から腕型を採取し、トロフィーとして完全再現させていただきました。 血管やしわの細部までに忠実に再現した、大変貴重なトロフィーとなります。

商品を見る CoCoKARAnext
オンラインショップ

おすすめコラム