【現役引退】イチローに救われた東京五輪ーーレジェンドの凄みをソフト史上最高の打者・山田恵里と鉄平が熱弁!【独占取材/その2】
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2008年の北京五輪、そして昨年の東京五輪ソフトボールで金メダルを獲得した山田恵里。今季限りでの引退を発表した名手は、その偉大なキャリアを通して何を経験し、感じてきたのか。2009年にパ・リーグ首位打者に輝いた元プロ野球選手の鉄平氏を論客に迎え、「ソフト史上最高の打者」に様々な話を聞いた。第2回は、日米野球界のレジェンド、イチロー氏について話が盛り上がった。
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ーー参考にしていた野球選手は?
山田 野球をやっていた中学校の頃から、イチローさんをすごく参考にしていました。壁を作るとか、体を開かないとか、そういうところは高校でソフトボールに転向しても継続していました。ソフトボールはタイミングの取り方が全然違うので、そこは変えたんですけど、体を開かない、とかはずっとやってました。
鉄平 イチローさんを参考に?
山田 はい。
鉄平 ですよね。やっぱり世代ですもんね。僕と山田さんは1つしか年齢が違わないんですが、僕もイチローさんに憧れて中学校から左バッターになったんです。元々は右バッターで小学校6年生までやっていて、ちょうどイチローさんが210本打った年に僕が小学校6年生だったんです。それを機に「こういう人みたいになりたい」なと。衝撃的だったじゃないですか、あの時のイチローさん。でも、身体の開きとか、その当時から見てました?
山田 中学校の時はそこまで詳しくは見てなかったですね。ただ振り子の真似をしていました。
鉄平 僕もめっちゃしました。振り子の真似して、走り打ちするとかね。
ーーお二人ともイチロー氏にちなんだ愛称で呼ばれていましたね。山田さんは「女イチロー」、鉄平さんは「九州のイチロー」と。
鉄平 ドラフトの時だけですよ(笑)。イチローさんに憧れて左バッターにしたのもあって、もう本当に何から何まで真似しましたね。今みたいに動画で気軽に見ることはできない時代だったので、スポーツ番組をかじりつくように見てました。ドラフトの時に「何とかのイチローさん」みたいな感じで言われて少し誇らしげな部分もありましたけど、プロに入って各方面からあの方の伝説が聞こえてきて、どれほど凄い人だったのかを実感した後は……。どれほど大きな人の名前が自分に使われていたのかっていうね。自分はイチローさんの足の裏の角質までも届いてないなと気付いて、ちょっと恥ずかしくなりましたね。
ーー技術的に参考にした部分は?
鉄平 すべてのコースをヒットにできる能力ですね。何とか近づきたいなと思いました。僕は体が大きくないので、ホームランバッターではなかった。イチローさんはホームランも打てましたが、それよりも全コースに対応できるバッティングを真似したかった。あとは、野球に対する姿勢だったりですね。凄く練習すると聞いていたので、真似していましたね。実は、イチローさんがマリナーズに移籍する何日か前に、偶然すれ違ったことがあるんです。名古屋の室内練習場でたまたま。イチローさんは、室内でマシン打撃をずっとしていたんですけど、音も凄かったし、全部同じところへ打球が飛んでいくんです。凄いなと思いましたね。
山田 私は2015年にアメリカに行ったときに、当時ヤンキースに所属していたイチローさんの試合を遠くから見たくらいです。