F1日本GPの前売りが好調、日本人ドライバー不在の中で見どころは?
10月に鈴鹿サーキット(三重県)で開催されるF1日本GPの前売り観戦券の売れ行きが好調だそうだ。今季はF1に復帰して5年目を迎えたホンダが強豪レッドブルと組んで復活。6月の第9戦オーストリアGPでエースのマックス・フェルスタッペン(オランダ)が今季初勝利を飾り、第11戦ドイツGPで2勝目を挙げた。
昨年の日本GPのホンダ応援席((c)RedBull Content Pool)
約1万席のホンダ応援席は完売
ホンダが息を吹き返した半面、日本人ドライバー不在の期間が続いている。2014年に小林可夢偉がケータハムでフル参戦したのを最後に、計5シーズンにわたって寂しい事態となっている。こういう場合、日本のF1ファンにとってのよりどころはやはり日の丸だ。有能な日本人エンジニアがそろうホンダを応援したくなる。鈴鹿サーキットも「日本GPには約1万席のホンダ応援席を用意しているが、完売した」と話し、昨年以上に活況を呈しているという。
これまでも日本人選手がいない空白期間はいくつかあった。中嶋悟が日本人で初めてレギュラー参戦した1987年以降、未曾有のF1ブームも手伝って数多くの日本人がデビューを果たした。その流れが初めて途絶えたのは2000年。99年で高木虎之介がアロウズのシートを失い、佐藤琢磨が02年にジョーダンのレギュラーシートを得るまで約2年間、日本人の参戦がなかった。
その時にF1を支えたのは日本メーカーだ。92年を最後に撤退したホンダが8年ぶりにエンジンサプライヤーとして復帰。同年からF1で活動してきた無限ホンダとともに日の丸を背負う2社が欧州の自動車メーカーと対峙した。タイヤバトルが再燃したのもちょうどこの時期。1990年代後半は米国のグッドイヤーと日本のブリヂストンが開発競争を繰り広げ、2001年からはブリヂストンと復活参入1年目だったフランスのミシュランが激突した。
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