日本が揺れた“衝撃の落選” 98年・02年W杯…カズ、中村俊輔が外れた「メンバー発表の舞台裏」
現地で発表されたカズの落選は日本に大きな衝撃を与えた(C)産経新聞社
カズ落選後の選手たちの動揺も凄まじかった。2日夕方の練習にやってきたキャプテン・井原正巳(水原三星コーチ)は「W杯に行く人数に制限があるのでしょうがない。みんなそれを分かってここにきているので、残った選手全員で戦うしかない」と沈痛な表情を見せたが、直後のハーフコートゲームで負傷してしまった。懸命のリハビリの甲斐あってキャプテンの本大会欠場は免れたものの、日本が初参戦したW杯直前のチームマネージメントとしては、必ずしも成功したとは言えないだろう。
それから4年が経過した日韓W杯のメンバー発表当日。その時もやはり大混乱が起きた。
「DF秋田豊(琉球デイゴス・スーパーバイザー)…、FW中山雅史(沼津CRO)」
2002年5月7日・14時。東京プリンスホテルの壇上に上がり、1人で選手の名前を呼んだのは、木之本興三・日本代表チーム団長。リストを作成したフィリップ・トルシエ監督は欧州にとどまり、会見を欠席するという異常事態が起きたのだ。
「トルシエは俊輔落選の批判をかわしたかったから逃げた」とも受け取られないような対応で、その場に集まったメディア関係者も呆れたが、俊輔落選が現実になったのは紛れもない事実。17時から横浜・東戸塚にあった横浜F・マリノスの練習場で俊輔がメディア対応するという情報を聞きつけた筆者は、仲間とタクシーに相乗りして現場へ急いだ。
ギリギリに到着して中に入ると、テレビ環境者や新聞・雑誌記者など総勢100人以上がクラブハウス内に集まっていた。クラブ側は松田直樹、中澤佑二(解説者)、俊輔の3人が選ばれることを想定し、3人で記者会見を開くつもりで準備していたが、その場に表れたのは松田1人。しかも落選した俊輔の方に注目が行ってしまい、晴れがましい場に表れたはずだった松田が苦渋の表情を浮かべていたことが脳裏に焼き付いて離れない。
それから1時間くらい経ってから、会見場から少し離れたロビーにボサボサ頭の俊輔が現れ、最初にテレビ取材を受け、我々ペン記者のところにやってきた。
「何も言わないといろんな憶測を書かれるから、ハッキリ喋った方がいいと思って、会見を開くことにした」と本人は言う。カズ落選当日の様子を彼が知っていたかどうかは分からないが、当時のような混乱は避けたかったのだろう。








