松坂大輔と井上尚弥の共通点 大橋会長が語る井上尚弥の心技体「カラダ編」
故障で学んだ事も進化の「栄養素」になった
今でこそ屈強な肉体を手に入れつつある井上ですが、故障という経験も自分の体とより向き合うことになった大きな転機だったと言えます。14年に右拳を故障し、その後、手術をしたことで1年間のリハビリ生活を余儀なくされたことも一因としてありますが、復帰直後に腰を痛めた事で練習を見直すようにもなったのです。
大きなところで言えばスパーリング。それまでの井上は、試合が近づくと12ラウンドを1日おきにこなすというハードなトレーニングを課していました。15年9月に彼の地元・座間で開催される防衛戦に向け、世界ランカーを4人招聘し、ひとり3ランドずつスパーリングを行ったことで、知らないうちに井上の体が悲鳴を上げていた。
公開スパーリングでもストレートしか打てないほど腰の痛みが増し、試合直前には立っているのもやっとの状態。当日のリング上でも、周りの方からすれば「うまくディフェンスをしているな」と映ったかもしれませんが、実際には試合中でも腰を伸ばしていたり、セコンドの我々が「これは負けるかもしれない」と不安になるようなコンディションだったのです。
その試合は判定勝ちで切り抜けることができましたが、12月に開催される河野公平との防衛戦は怖かった。相手はしつこいボクシングをしてくるし、井上自身も「もうちょっと時間を空けたほうがいい」と言っていたくらいでしたから。それでも、6ラウンドTKOで勝ってしまうところが彼の強さなのでしょうが。この故障はスパーリングの回数など、練習を見直す良いきっかけとなりました。あの2試合は、現在の井上を語る上で、ターニングポイントと言えるでしょう。
そうは言っても、トレーニングにリミッターを設けないのが井上というボクサー。今年10月にWBSS(ワールド・ボクシング・スーパー・シリーズ)の試合を観にいった際も、2週間前に試合をしたばかりで、本来、練習をしなくてもいいのに「練習がしたい」と言い出すような男。井上にとってボクシングとは、もはや生活の一部なのです。
つづく
[文/構成:ココカラネクスト編集部]
大橋 秀行 (おおはし・ひでゆき)
1965年生まれ、神奈川県横浜市出身。
現役時代はヨネクラボクシングジム所属。日本ジュニアフライ級(現・ライトフライ級)、WBC世界ミニマム級ならびにWBA世界同級王座を獲得。1993年に現役を引退、大橋ボクシングジムを設立し会長を務め、八重樫東、井上尚弥等の世界チャンピオンを輩出。
井上 尚弥 (いのうえ・なおや)
1993年4月10日、神奈川県座間市出身。
今もコンビを組む父・真吾氏の下、小学1年でボクシングを始める。相模原青陵高校時代に7冠を達成し、2012年に大橋ジムからプロ入り。戦績17戦全勝(15KO)。15年に結婚した高校時代の同級生との間に17年10月、長男が誕生した。