新人で活躍、開幕投手も「14〜17年の記憶ない」→救援転向で成功した投手とは ~心が折れそうになった男の復活物語~
「正直、心が折れそうな時ばかりでした。たくさんのスポットライトを浴びたのに、これだけ簡単に裏切った選手もそういないと思いますよ。」
そう、包み隠さず心のうちを明かしてくれたのは、2018年シーズンに自身最多60試合に登板し、救援ながらチーム2位の7勝をあげた横浜DeNAベイスターズの三嶋一輝投手。ワンポイントリリーフや回跨ぎ、ビハインドなど、あらゆる場面でチームに貢献した頼れるリリーバーだが、昨季の活躍の裏には悲壮な覚悟があった。
結果が出なくなって、人が去っていった
2012年のドラフト会議でDeNAから2位指名を受け、プロ1年目の2013年には監督推薦ながらオールスターに初出場。開幕から一度もファーム落ちすることなく先発投手として6勝9敗でシーズンを終え、オフには日本代表・侍ジャパンにも選出された。横浜を、日本を代表する次期エース候補として華々しいプロ野球人生のスタートをきったはずだった…。
「先発で注目されてスポットライトを浴びる経験もできました。そういう時は色々な人が寄ってきましたね。でも逆に、結果が出ないと周りの人達が一気に去っていく。人ってあっという間に去っていくんだなという思いもありましたし、期待されていたからこそ、裏切ってしまったなという気持ちもありました。もちろん、支えてくれた人達もたくさんいますけどね。」
そう振り返るように、プロ1年目から一転、以降は順風満帆とは言えなかった。2014年、入団2年目にして開幕投手に抜擢。ヤクルトとの開幕戦では、法政大学の1学年後輩で新人の西浦直亨選手に本塁打を打たれるなど、2回9失点。
「あの開幕で9点取られたことはよく覚えています。ターニングポイントは2年目、その時からですかね。思いっきり腕が振れなくなった。自分の体じゃないみたいに、思うように体が動かない。今思うと精神的に自信がなくなってしまっていたと思いますが、積み重ねてきたものが崩れた瞬間でしたね。」
綻びの予兆はあった。当時の首脳陣から一年目の結果を高く評価され、早々に開幕投手に指名されていたが、三嶋選手のなかではシーズン前から体と心に違和感があった。
「正直、キャンプの時から全く体が動かなかったんですよね。でも、周りからは『今年はやってくれる』という期待があって、オープン戦とかで1回2回を抑えるだけで『調子いいね』とチヤホヤされていて、それで自分の足元を見られなかったのかなと思います。何とかなるだろうという気持ちでキャンプとオープン戦を過ごしていました。だけど、自分自身の中途半端な気持ちと、周りからの期待と、自分の体が一致しなかった。期待に応えようとか、結果を残してやろうといった気持ちだけが先行してしまい、自分自身を見つめることができなかったんだと思います。」