新人で活躍、開幕投手も「14〜17年の記憶ない」→救援転向で成功した投手とは ~心が折れそうになった男の復活物語~

タグ: , , 2019/1/16

2014〜17年の記憶があまりない。何となくやり過ごしていた


 結局、プロ2年目は8試合に登板し1勝2敗、防御率10.88という不本意な成績に終わった。翌2015年シーズンは5勝5敗、防御率4.81と復調の兆しが見えたものの、2016年にはプロ入り初の開幕ファームスタートという苦汁を舐めた。

「僕の中では、ルーキーの年は必死について行って勝ち取った開幕一軍、2年目は1年目の結果と次の年への期待を込めての一軍、3年目は競争して実力で勝ち取った一軍というイメージ。いいピッチングができた時もあったけれど、自分の思うようには腕が振れていなかったです。騙し騙し、何とか投げていましたけれど、根本を修正できていないから、結局それが次の年の結果に出てしまう。何度も失敗しているにも関わらず、次に繋がるいい結果が出ないということに関して、どうしようと不安になっていました。すごく苦しかったですね。」

甲子園出場経験はないものの、法政大学では東京六大学リーグ優勝、ベストナイン受賞など、輝かしい実績を残してきた三嶋選手。だからこそ味わう、初めての挫折だった。

「正直、何かのせいにしたくなるときはありましたね。食べものとか、行動とか、あれが悪かったんじゃないかって。余計なこと考えるようになりました。だけど、今思えば2014〜17年はあまり何をしたか記憶にないですね。印象に残る試合も全くない。『本当に苦しかった』ということにまとめちゃっていて、一つ一つの詳細な記憶がないんですよね。その期間だと、奥さんと出会った記憶くらいしかなくて。結局、そのくらいしか野球に対しての思いや結果しかなかったということですよね。好きな野球をやっているのに、向き合うことなく何となくボーっとやり過ごしていたんでしょうね。それはすごくもったいなかったなって、2018年シーズンを終えて思います。」

2018年に登板した試合は全部覚えている

 そんな五里霧中のなかに光が射したのが2017年のことだ。

「2017年は2年連続でファームスタートでしたが、途中から一軍で中継ぎとして登板するようになって。レギュラーシーズンはプロ入り後初めて勝ち星をあげることができなかったですけど、クライマックスシリーズではチームの日本シリーズ進出に貢献できたと思う。ちょうどその年の後半に子供も生まれて、徐々に兆しが見えてきたと思います。やっぱり家族の力は大きいですね。自分は結構わがままなところがあるので、ピシッと嫁さんに背中を押してもらったような感じがします。厳しいくらいが僕にとっては良かったのかなと(笑)。家族を食べさせていくとか、不安にさせないとか、一試合一試合、毎日が何かのためにということを考えるようにもなりました。だから2018年に投げた60試合は全部ハッキリと覚えています。」

 家族の、そしてDeNAの屋台骨を支える大黒柱として覚醒した三嶋選手。次回は2018年にリリーフに転向してからの覚悟を聞く。





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※健康、ダイエット、運動等の方法、メソッドに関しては、あくまでも取材対象者の個人的な意見、ノウハウで、必ず効果がある事を保証するものではありません。

[文/構成:ココカラネクスト編集部]

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